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日本語教師だよりその21. 現代の敬語:謙譲語について

このごろ、私を含めた一般の人が、老若男女、SNSなどで投稿する機会が増えました。
そんな中、注目しているのは、一般の日本人の敬語が変わってきたことです。

中でも、顕著なことは、尊敬語と謙譲語の使い方です。


最初に整理します。

尊敬語は相手の行動について言う時です。

例)
先生は、Netflixはご覧にならないそうです。
教授は、ぼんやりとご自分の手に目を落としていらっしゃいました。
あの方のおっしゃることに間違いはないと思います。

御〜になる、御〜くださる、御〜いただく 

などの、一度覚えたら応用の効く形のほか、
尊敬語の中でしか使わないので、丸呑みに覚えていく語も多くあります。
いらっしゃる・ご覧になる・お越しになる、など。

一方、謙譲語は、自分を低くすることで、自動的に相手を持ち上げます。
自分の行動について、使うものです。

例)
先生、明日お邪魔したいのですが、よろしいでしょうか。

お客様、あとでお持ち致しますので(謙譲)、
お時間ご都合の方はいかがでいらっしゃいますか?(尊敬)

御〜する、させていただく のような定型の他、
尊敬語同様、謙譲語独特の、とりあえず覚えて、増やしてくしかない語もあります。

お目にかける・恐れ入ります・・などですが、
こちらの方も、意識的に学ばないと使いこなせないものですね。

この、敬語=尊敬語・謙譲語文の使い分けは、
日本人であれば、年を重ねながら、自然に身につけるものです。

仕事などで敬語を使う機会の多い人ほど、多重的な丁寧さのレベルの海を、
自由自在に上下に行き来できることでしょう。

新入社員への研修で、敬語の使い方を訓練したりするそうですが、
つまりはそれは、18歳や、21〜2歳までの人生で獲得した敬語では、
まだまだ「足りない」ということかと思います。

保育士さんや、幼稚園教諭の皆さんは、考えてみたら、
幼児に対してもですます調にカジュアル体を混ぜて話しますね。

あら〜? ◯◯ちゃん どうしたのかな?
お友達の頭を叩いちゃいけないですね。
はい、ごめんなさいは?
ごめんなさいを言いましょう。

という感じです。

これは、小さい時から触れさせ、なじませておかなければ、
敬語の核が形作られないということでしょう。

このような日常生活の中で、始終、ぼんやりとでも、

「家族や友達に喋るときと、お母さんの友達や保育園の先生に喋るときでは、
言葉遣いを変えなければいけない」

と言う感覚が、知らず知らずに育っていくのでしょうね。

学校であるように、

先生:こら、わかったか!
生徒:うん、あ、はい・・・あ、わか、わかりました。

というふうに、試行錯誤で 知らないうちに少しずつ身につけていくものと思っていいでしょう。


さて謙譲語には一つ、「これだけは徹底したいこと」があります。

それは、謙譲語は、自分が相手に対してへりくだるときに使うのはもちろんですが、
自分の「身内」の行動について、自分が誰か「外の人」に話すときは、
尊敬ではなくて、謙譲語を使うということです。

身内とは、

「私に近い人びと」=家族その他
と、
「自分が属しているグループ」=例えば自分の職場の人びと

であるわけですが、その人について、「グループの外の人に話す時」は、
やはり謙譲語を使いましょうということですね。

社内で、自分⇨上司 のときは、尊敬語です。

部長:君はどう思う? これはまずいんじゃないかね。
私:なるほど部長、おっしゃる通りです。(尊敬語)(部長の行動)
では早速、訂正させていただきます。(謙譲語)(自分の行動)

これは、大人なら大丈夫でしょう。

しかし一方、自分が直接には尊敬語を使いたい人についてでも、
それを外部の人に向かって話すときには、敬語を使ってはおかしいですね。

お客様:この点について、高木部長はなんとおっしゃっていますか?
✖️高木部長の部下:はい、高木部長さんもそうおっしゃっています。
⭕️高木部長の部下:はい、うちの高木もそう申しております。

さすがにこの辺を間違える日本人の大人は少ないと思います。

ところがここ10年ぐらいだと思うのですが、
「自分の家族・恋人 などについて、尊敬語・を使う人」
が、明らかに増えていっています。

これがなぜまずいかというと、
ある人について私たちが尊敬語を使うときは、
自分がへりくだっていますし、相手を尊敬しています。

ところがこれを、「他人に向かって自分の身内について話すとき」にしてしまうと、その他人(第三者・外の人)に対して、自動的に、

私が尊敬している人を、あなたも一緒に尊敬しましょう。
一緒にへりくだりましょう。

ということになってしまいます。

本人には全くその意識はないので、「そんなこと思っていません!」
とおっしゃると思いますが、これが摩訶不思議な敬語の世界です。


以下を読んで、あれ? と思われますか?

私はマッチングアプリでこの方にお会いしたのですが、
彼が既読スルーをするようになり、悩んでいます。

私の母がいつも経済的に助けてくださっているのですが、
申し訳ないと思っています。

2年前にお会いし、1年前から同棲している彼について相談します。

彼にそれはやめてほしいとお願いしたのですが・・

などです。

この変化が徐々に進んでいっている背景には、多くの人が、
謙譲表現を、「丁寧語である」と認識しているのかもしれないと想像します。


20年ぐらい前に、結婚式の「花嫁から両親への手紙」で、

お父さんお母さん、いつも助けてくださってありがとう。
どんなときでも寄り添ってくださいました。

というのを聞いて、あれ? と思ったことがあります。
今後は、この傾向はもっと加速していくのでしょうか。

言葉は生き物で、常に揺れ続けて変わっていきます。
ある時代に間違いであっても、やがて市民権を得て、
普通になっていくことはいくらでもあります。
ら抜き言葉に目くじらを立てる人は、もはや少数派でしょう。

しかし、敬語のように、儒教の伝統に厳しく縛られて練り上げられたものが、
この先、「これでいいのではないですか」と言う方向に変わっていくことが
一体あるのでしょうか、どうなのでしょう。

敬語に苦しむ外国人に日本語を教えている側として、興味は尽きません。

サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。