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理解のある彼くんの葛藤

自己認知する彼くん


巷では「理解のある彼くん」の悲劇がおもしろ可笑しくSNS で闊歩している。滑稽さや、男としての哀れさが絶妙に愉快で、多くの人は楽しんでいるのではないだろうか? 一方、楽しめない男たちがいる。そう、「理解のある彼くん」本人である。彼らもナケナシの客観性を持ち合わせているため、自身がその立場にあることに気づいてしまうのだ。かくいう僕も誠に遺憾ながら「理解のある彼くん」であろう。

うつ病パートナーの女を支える男の9割は「理解のある彼くん」である。なぜ10割と言い切らないかというと、10割というと面倒くさい奴に絡まれるからである。

彼くんとチー牛との明確な違い

唐突だが、理解のある彼くんと並ぶネットミームに、「チー牛」があるであろう。基本的な構図は非常に似ていると思うが、一点だけ異なるポイントがある。それは自認率の違いである。おそらく、「俺はほんまチー牛やなぁ」と自認しているチー牛は少ないが、「俺はほんま理解のある彼くんやなぁ」と思っている人は多いはずだ。つまり両ミームは同じく弱者男性を揶揄するワードであるが、「チー牛」は他人事でありこれで傷ついている人はいないのではないかと思っている。 この違いは興味深いテーマだが、ここでは「理解のある彼くん」が自身の立場を認知し傷ついていることを指摘するにとどめよう。

悲しいモンスター

「理解のある彼くん」の特徴として、女性経験の乏しさがある。「この人を逃したら次はない」という強迫観念が、彼らの過剰な優しさの源となっているのだ。この傾向は、わがままな女性(特に美人)に振り回される男性にも見られる。これだけでは「理解のある彼くん」とは呼べず、最後のスパイスとして精神疾患を持っている or メンヘラパートナーが必要となる。こうなるとズブズブの共依存になり、共依存ではあるが片方は社会的繋がりを失った相対的弱者ゆえに理解のある彼くんという悲しいモンスターが産み落とされる。泣いてる。


この悲しいモンスターは昔から実在していたのだが、ずっと名前がついていなかったのだ。「理解のある彼くん」の表面上は、脅迫観念は優しさオブラートでぐるぐる巻き担っているゆえ、表面上は優しい素敵な人に映るのだ。でもその状態が、モンスターにとっても女にとっても幸せだったのではないか? 現象に名前がついていなかったため見えていなかった人間の汚さが日の目を浴びてしまった。ふたりとも共依存で幸せ、それでいいじゃないか。

ここまで書いておきながら結論らしい結論はない。だから何だというわけではない。しかし、自身の汚さや狡猾さをポップワードで暴かれた僕は傷つくのだなと考えてたのでとりあえず言葉に残しておきます。

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