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保育士として感じていたこと

今日は、保育士のお仕事をしていた頃に感じていたことを
お話したいと思っています。

わたし自身も含め保育士って”してあげたい”ていう気持ちが大きい。
でも、それって大事な思いだし、そうした思いがベースにあるからこそ
仕事の原動力にもなるんだと思う。

けれど…それが大きな落とし穴になるんだ ということも
経験を重ねるにつれて感じた思い。

”人の振り見て我が振り直せ”っていう言葉があるけれど
本当にこの言葉は、自分を気づかせてくれる言葉だなって思う。

子どもたちが自立、そして自律に向かっていくために
わたしたちがするべきこと…

確かに、尊い命・大切なお子さんを信頼して預けてくださっているから
怪我などは防がないといけない。
だけど、疑問なのはそこまでお膳立てしないといけない?ということまで
保育士がやり過ぎてしまうこと。

すごく難しいのはわかってる。

そうなると、子どもたち一人ひとりに合わせて
対応していかないといけない。
また複数担任がいる場合、子どもたち一人ひとりの向かう先など
意識を統一する必要がある。

でも、わたしはそこに時間をかける必要があって
話すのが上手な人が評価されるような会議であったり
トップダウンの話の会議に時間をかける必要は
ないんじゃないかな~なんて思ってる。

一つの例で言うと、折り紙を置いてあるところまで取りに行くとき
給食のおかわりに行くとき
座っているところから明らかにそっちに行くと遠回りになるって
いうルートに一人の子どもが向かったとき
「こっちから来たら早いで」「こっちから来たらいいのに」

よくわかるー!!
就職した頃のわたしは、そうした声掛けをよくしてた。
だって、それが子どもたちのためになると思ってたんだもん。

でも、それをすると子どもたちは考えなくなる。
”こっちから行こうかな”とただ思っただけだけれど、
”違うんだ”、”自分のした選択は間違ってるんだ”という思考になる。
そうすると、答えを求めるようになる。
失敗が出来なくなっていく。

人から教えてもらったことは、実にならないって
わたしたちはある程度わかっているはず。
でも、言ってしまう。
それが子どもたちのためになると思っているから
見えなくなってしまってる。

給食のおかわりがしたくて、あと残り一つしか唐揚げがなかったとき
誰かと同時に席を立ったけれど、早く行かれてしまったとき
もしかすると”次はどう行けば早くおかわりに行けるかな”と
考えるかもしれない。

子どもたちが「ここに持ってきて遊ぼう」となったとき
「危ないからそこまで運ぶね」
なんてことは出来る。
でもどうやって運ぶ?こうして運んだら危ないんだなって
やってみないとわからなくない?
このことに関しては、本当に色々感じるところがあったなぁ。
どうすることが、子どもたちにとって本当にいいのか…
ものすごく悩んだなぁ。


そーんな風に思いながら、話をしても交わらないことも
あったし、もどかしいところもあったし
泣く泣く合わせることもあったけれど
わたしは、こうした考えの保育の軸は持っていたなぁって
思います。
でも、その悩んだ時間は無駄ではなかったなって思うし
そうした時間があったからこそ、こういう保育がしたいって
わたし自身の保育観が構築されていったのだと思います。

これは、本当に色々な方面から考えると難しいし
色んな意見があるけれど…
わたしの勝手な思いだと思って読んでもらえたら嬉しいです。

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