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女子スキージャンプ選手紹介ノルウェー編

ノルウェーについて

ノルディック”と言う言葉は“北欧の”と言う意味である。当ブログで扱っているスキージャンプ競技もノルウェーのテレマーク地方が発祥であり、ノルディックスキーの“本場”がノルウェーである。

ノルディックスキー世界選手権、アルペンスキー世界選手権の累計獲得メダル数はそれぞれ398、50と説明不要かつ正真正銘のスキー強豪国である。

女子チームHCは2011年から現在に至るまでクリスティアン・マイヤー。コヨンコスキー、シュトックル同様長期政権である。

Silje Opseth シリエ・オップセット (1998)

くみ編みがトレードマーク、2020年代に入ってからノルウェーのエース格に躍り出た選手。

元々ノルディック複合もプレーしていた。純ジャンプW杯デビューは2015年12月のリレハンメル。17/18シーズンに総合20位を記録。2019年世界選手権女子団体では銅メダルに輝いた。

2020年3月のリレハンメル1戦目で3位に入り初表彰台。続く第二戦、1本目を3位で折り返し2本目は全体1位となるジャンプを決め優勝、と思われたが試合後に彼女の飛型点が変更されたより2位で終わる。一度は優勝を確信した為悔しさで試合後涙を流し同胞のルンビに慰められていたがこの悔しさが翌シーズンの原動力となったのか、続く20/21シーズンは7度の表彰台に上がり総合4位。2021年の世界選手権混合団体、女子団体では共に3位に輝いた。一気にノルウェー一番手に躍り出た。

北京イヤーである21/22シーズンも好調を維持。オリンピックではメダルなしに終わったが2022年3月のホルメンコーレン大会では聖地でニカ・クリジナルを抑え自身初優勝を果たした。優勝時のインタビューでは“これ以上良い場所、良い日はない”と語った一方“男子の試合は3000人の観客がいたのに女子の試合になると1/10に減ってしまった“と語った。

The ノルウェーという力強い飛び出しのジャンプが特徴。タイミングが大きく遅れてもパワーでK点を越してくる。

一歳半でクロスカントリースキーと出会い、スキージャンプを始めたのは12歳の頃である。

現在栄養学を学ぶ学校に通っているがスキージャンプを辞めた後のキャリアについては未定である。

尊敬する人は誰かという問いには“スポーツ面、メンタル面、生活面において自分が学ぶべき事を行なっている人”と答えている。

趣味はバックカントリースキー、オリエンテーション、野菜の自家栽培など自然に触れた活動をすること。

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Anna Odine Stroem アナ・オディネ・ストロン (1998)

ノルウェー北部、オーロラが美しいアルタという小さな港町出身。W杯デビューは2013年12月のリレハンメル。初ポイントは2014年3月のルシュノフである。W杯転戦は17/18シーズンからでそのシーズンの総合順位は17。翌18/19シーズンには蔵王で初表彰台を記録(ガスって試合にならんかったアレ。アルトハウス、Sc○○ißeって叫んでた。)。2019年世界選手権女子団体、混合団体での銅メダル獲得に貢献し最終的に総合7位でシーズンを終えた。2019年に原因不明の腰痛を発症したことにより翌シーズンから今に至るまでは若干調子を落としてしまい総合20位前後が続いている。

170cmオーバーの長身を生かした速いアプローチスピードから繰り出される力強いジャンプが特徴的。(生で見るとスタイルめっちゃ良い)

現在は救急救命士になるための勉強に励んでいる。(パラメディック!)

趣味は読書、編み物、お絵描き、スポーツなど、とにかく新しいことに挑戦すること。

バスケットボールが好きであり憧れはNBA、ミルウォーキー・バックス所属のヤニス・アデトクンボ。(MILのレジェンドらしい、バスケはルールしかわからない。野球で例えるとライアン・ブラウンとかかな?斎藤隆と同僚だったねえ)

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Thea Minyan Bjørseth テア・ミニアン・ビョルセット (2003)

ノルウェー最高の才能。竹内元康氏(NHK、JSports)、アンデシュ・ヤコブセン(NRK)など各国コメンタリーは彼女を絶賛していた。元々ノルディック複合も兼ねてプレーしていた。現在の個人コーチはリーネ・ヤー。

ユース年代から純ジャンプで素晴らしい成績を残しており2020年オーバーヴィーゼンタール世界ジュニアでは個人NH、混合団体共に銀メダル、2021年ラハティ世界ジュニア個人NHでは2位パニエを大きく引き剥がし金メダルを獲得した。

W杯デビューは2020年2月のヒンツェンバッハ。短縮シーズンとなった20/21シーズンはルシュノフ、リュブノで8位に入るなど安定した成績を残し総合15位。オーベルストドルフ世界選手権女子団体ではノルウェーの3位に貢献した。

21/22シーズンは五輪にも出場。Raw AirリレハンメルではPBとなる6位を記録し総合16位。更なる飛躍が期待される。

憧れの選手はシュリーレンツァウアーで趣味はクロスカントリースキーとサッカー。

(この選手、個人的に見てて凄い楽しいのよ。ノルウェーで一番好きかも)

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Nora Midtsundstad ノラ・ミシュンスタ (2003)

2019年まではノルディック複合にも並行して取り組んでいた選手。(ハンゼンやビョルセットだったりこのスタイルの選手結構いるよな)2022年ザコパネ世界ジュニアで6位に入り、翌週のW杯オーバーホフ大会に招集された。

姉はコンバインド選手のハンナ・ミシュンスタ。

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Frida Berger フリダ・ベルガー (2004)

2019年からコンチネンタルカップを主戦場にしている選手。21/22シーズンはコンスタントにコンチネンタルカップでポイントを獲得した事がマイヤーHCに認められ五輪明けヒンツェンバッハの団体戦ではメンバー入りを果たした。

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https://vt.tiktok.com/ZSdN57W7e/

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Eirin Maria Kvandal エイリン・マリア・クヴァンダル (2001)

ノルウェー中西部、ヌールラン州出身。

2018年頃からコンチネンタルカップやFISカップを主戦場にしていたが2020年10月13日のノルウェー選手権(トロンハイム)で優勝。10月31日のノルウェー選手権(オスロ)で2位。20/21シーズンは開幕からAチームに抜擢された。

W杯初出場となった2020年12月のラムソーでは33位とポイントを獲得することができなかったが2021年1月に行われたリュブノでの団体戦ではノルウェーチームの2位に貢献。その試合ではトップバッターで起用され第1グループ全体3位の活躍であった。そして翌日、W杯個人戦で初優勝を果たす。出場2試合目での初優勝であった。2月のヒンツェンバッハ3連戦の頭の試合でも3位に入り一気に総合優勝争いに絡むかと思われたが第3戦目でクラッシュ。検査により右膝の十字靭帯、半月板、および側副靭帯の断裂が明らかになった。飛行曲線が高く、特にデビューしかけの女子選手にとってはリスクが高かったのかもしれない。現在(2022年3月末時点)に至るまでジャンプトレーニングができない状態にあるが名前はAチームに残ったままである。(ちょっと違うけど、アルペンだと怪我離脱中はシードが維持されるよね)

彼女は先天的に脊柱側弯症を抱えていた。彼女が15歳の時、母親が彼女の背中が曲がっていることに気づいたが当時はあまり深刻に受け止めなかった。クヴァンダルがジャンプの道を本格的に歩む決断をし、トロンハイムのスポーツセンターに行き検査を受けた所、この病気であると判明した。

2018年12月3日、7時間に及んだ手術の末背中に22本のボルトを埋め込み背骨を矯正した。そして6か月後の2019年6月3日にシャンツェへ復帰した。

夢はプラニツァのフライングヒルでジャンプをすること。

(今回は見つからなかったけど、優勝した後NRKに曲がった背骨のレントゲン写真がアップされてて衝撃的だった。素晴らしい選手なので来シーズンは戻ってこれるといいなあ)

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Maren Lundby マーレン・ルンビ (1994)

ノルウェー南部、イェービク出身。

ジャンプファンで知らない人はいないであろう、女子ジャンプ界、いや、スキージャンプ界を代表する選手の1人。

17/18、18/19、20/21シーズンのW杯総合優勝、W杯通算30勝、2018年平昌オリンピック個人NH、2019年ゼーフェルト世界選手権個人NH、2021年オーベルストドルフ世界選手権個人LHの金メダリストでありそのほかにも数々の栄光を成し遂げている。

コンチネンタルカップデビューは2007年。2009年にはノルウェー選手権で銀メダルに輝き初めて女子ジャンプ競技が導入されたリベレツ世界選手権にも出場した。2011年オスロ世界選手権では11位。

W杯開始シーズンから参加しておりそのシーズンとなる11/12シーズンは総合26位で終えた。初表彰台はソチイヤーである13/14シーズンのリュブノ。そのシーズンは総合7位に入った。翌14/15シーズンはファルン世界選手権の混合団体銀メダルに貢献した。

初勝利は16/17シーズンの札幌(ちなみに札幌で5勝を挙げている)。そのシーズンは通算4勝、10表彰台を記録した。2017年2月のラハティ世界選手権では1本目をトップで折り返すが、2本目は飛び出しのタイミングを大きくはずしてしまい結果4位のメダル圏外に沈んでしまった。このとき彼女は涙を流しオップセット、ストロンの2人に慰められていた。

この悔しさを翌シーズンにぶつけ、17/18シーズンは9勝を挙げ残り3戦を残した時点で総合優勝を確定させた。平昌五輪でも金メダルと圧倒的な強さを見せる形となった。

18/19シーズンは試合数が大幅に増えたこともあり12勝。世界選手権では個人の金メダルを初めて獲得しW杯も総合優勝で終えた。

19/20シーズンはオーストリーのキアラ・ヘルツルとの激しい総合優勝争いの末、Raw Air初戦リレハンメルで総合1位に躍り出て、例のアレによるシーズン強制終了によりそのまま総合優勝を果たした。

例のアレにより短縮シーズンとなった20/21シーズンは序盤から表彰台争いに絡めず、そしてニカ・クリジナル、高梨沙羅、マリタ・クラマーらの総合優勝争いにも食い込めず総合8位でシーズンを終えた。しかし世界選手権では無類の勝負強さを発揮、個人NHでは2位に入ると女子団体、混合団体をそれぞれ3位、2位。この大会から導入となった個人LHでは2位の高梨沙羅、3位のクリジナルを寄せ付けず優勝を果たした。

オリンピックの連覇も期待されたが2021年10月、NRKの番組内で”スキージャンプはあらゆることが要求される競技で、体重もその一つ。私の体は最近自然に変化していて、北京で調子をピークに持っていくために全てを犠牲にすることは望まない。“と発言、21/22シーズンの全休を発表した。

しかしホルメンコーレンではオップセットの初優勝時は祝福をしたり、高梨沙羅との2ショット写真を自身のSNSにアップ、プラニツァでは自国の放送局による放送のゲストに呼ばれるなど表舞台に顔を出し続けている。

音楽活動もしていて、2019年3月にはコンサートを開催していた。

(日本でもファンが多くて、ルンビガチ勢を数人知ってますw。ルンビはラーメンが大好きなので日本に来たら必ず食べてるねwww)

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あとがき

Ingebjørg Bråten(インゲビョルグ・ブローテン)を皆様は覚えていますでしょうか。2018年12月のリレハンメルで17位に入ると2019年2月のゼーフェルト世界選手権女子団体戦ではメンバーに選ばれ銅メダルを獲得しています。LHを得意とするアグレッシブなスタイルの一方転倒が非常に多く、2020年3月、リレハンメルでのトレーニング中怪我をしてしまい、その怪我が原因で現役を引退しました。

選手としてのキャリアは短かったですが私の中では強烈に印象に残っている選手です。

インゲビョルグ、お疲れ様でした

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