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無人島キャンプの記憶

先日、実家の本棚を整理していると中学の無人島キャンプのプリントが出てきた。
私が通っていた中学は無人島を所有しており、2年生の夏休み中に強制的に6日間島へ連れていかれる。
やや説明不足な気もするがとりあえず飲み込んでほしい。

その無人島には一応メインの建物は存在するが、電気とガスはない。
水道は真水ではないが一応ある。
ただしルール上、流水を使ってはいけない。
例えば食器などを洗うときは、タライに少しだけためた水しか使えない。
シャワーなどもってのほかで、石鹸類は持ち込むことができない。
よってこのキャンプは「島流し」と呼ばれていた。
それを先生は「不適切だ」と怒っていたが、たしかに。
罪を犯していなくても連れていかれるので島流しより悪質だ。

初日に班ごとに草むらを開拓してテントを建て、そこを拠点に生活する。
班は5人程度なのだが、各班には大学生のリーダーが1人ずつ付く。
もちろん当たり外れがある。
このような中学生のキャンプに帯同してくれる大学生だから変わった人が多い。
うちの班のリーダーは渋くて寡黙で知識があるタイプだったが、
隣の班のリーダーは偉そうで、女性経験談で中学生相手にマウントをとってくるタイプだった。
無人島という娯楽のない地なので意外と後者のほうが当たり……などということは起きず、普通に前者が当たりである。
よりによって隣の班は寄せ集めグループだったので連携が悪く、頭ごなしにリーダーに怒られまくっていた。
「飯盒で炊いたご飯が柔らかくてカレーに合わへん!」とブチ切れられていたときはつくづくこっちの班で良かったと思った。

さて、6日間も何をするのかというと、
誰のためかわからない草刈りを延々としたり、どうせ帰ってくるのに船を漕いで隣の有人島を目指したり。
無意味の中に意義を見出す作業はしんどい。
普段は食べられないスイカがものすごくおいしく感じる程度にずっとしんどかった。

その中でもメインイベントは1km遠泳だ。
足がつかない海を全員1km泳がなければならない。
先生は「過去ひとりも泳ぎ切れなかった先輩はいない」と何度も言っていたが普通に考えて嘘だと思う。

コースの目印となるロープや浮きはある。
私は泳ぎが苦手なのでロープを何度かつかんだが、そのたびに船に乗った先生から大声で怒られた。
しかし単純に死にたくないので遠慮せずつかませてもらった。
そうしてなんとか最後まで泳いだが、気づけば最終泳者になっていた。
最下位あるあるの拍手に迎えられながら上陸すると氷砂糖を与えられた。

ちなみに明らかに1人途中リタイアしていたが、最後に先生が「今年も全員泳ぎ切りました!」と言っていた。
なるほど。

何か自分の人格形成につながったかもと思って、当時のことを思い出しながら書き始めてみたがほとんど何もなかった。
感受性が貧しくて申し訳ない。
遠泳最下位のところなんて何かしら思うべきところなのだろうが、どう思い出しても何の感情もなかったので文章が事実の羅列で終わってしまった。
キャンプやバーベキューや海水浴が嫌いになった理由がこれだという確信はできた。

そんなこんなで6日間の日程を終えると本土へ帰れるわけだが、
船とバスを経て阪急西宮北口駅というそれなりに華やかな地に降ろされる。
真夏に6日間風呂に入らず屋外活動をしたままの状態で。
西宮北口から東西南北の阪急沿線に我々は異臭として放たれる。
その車内での軽蔑の視線や言葉に耐えて帰宅することでようやくこのキャンプは完遂されるのである。

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