スポットライトの当たらない私を愛さなければ、スポットライトはやってこない
「絵に正解なんてない」
それこそが描くことの魅力であり、同時に受験生がもがく理由である。
いや、予備校に通い始めて2ヶ月くらい経って思ったのだけど、美大受験に正解は
ある。
でも、それが芸術の正解ではないというか。
芸術の正解、というならそれを採点するのは自分自信で、先生や社会ではない。だから生み出された作品はみんな一つ一つの正解なのだ。
個人的な感情として好きだと思う作品、制作の意図を聞いてなるほどと感心する作品、それが講評で選ばれないことなんてザラにある。
そして、制作していれば「これは選ばれる」「あれは選ばれない」と自他ともに予想できるようになる。
だから美大受験にも「求められる答え」はあって、けれども選ばれなかったものは、別の土俵でそれぞれ素晴らしく輝いている。
〜先日の課題・平面構成の感想〜
好きな色で思うように描いて、一枚の絵としては気に入るものができた。
でもこの課題への答え方はこれじゃなかったんじゃない?というモヤモヤ。
画面の中のバランスを分散させてしまっているのかな、構成というからには伝えたい情報を目立たせる必要があるから、要素の優先順位をはっきりするべきなのかもしれない。
けど……周りにも先生にも「好き」とか「そのまま貫いてほしい」とか言ってもらえたのは純粋に嬉しかった。
テーマと条件が難しく、どう形にするのが"正解か"数日悩んでずっと憂鬱で、最終的にベストな構図でもなかったけど、正しいか正しくないかじゃなく人の感情を動かせる絵は、いいと思う。
受験でどうかは置いておいて、私はそういう絵を描いていきたい。
ちなみに登校してすぐ先生にエスキースを見せて「これでいいんですか!?」と訊いた。
そうしたら「何がダメとかはない。その絵にどれだけ自分がこだわっているかどうか」と言われた。
そのときは「そりゃそうだけどさ…メソッドがわからないのさ…」と少し不服だったけれど、改めて思うとなんだかもう全くその通りで。
テーマに沿っていて条件を無視していなければ、極論どんな絵だっていいのだ。
自由に見えて選択肢が広大すぎる。
その中で一枚の構図に決めて進めていくには、「これが最高なんです」と言い切れる理論が自分の中になきゃいけない。
言い切り、こだわり、愛。
なにかつつかれたとしても、これ以外にはあり得ないんだと、強靭に立っていられる説得力みたいなものが。
適当にこなした作品に説得力はないよなあ。
あと詰めの甘さにも気を付けたい。
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