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「何も無い」が「ある」三四郎ANN/230609
本気で毒にも薬にもならない三四郎ANNを聴き始めて8年。
結局第一回から聴いてしまっている。
2018年頃、当時の旦那さんに「保留ちゃんはラジオも好きなはず」と長年言われてきて、やっと聴く気になったのがきっかけ。
それからYouTubeで探して第一回から夕食作りの時に聴き返して、結局ずっと聴いている唯一のラジオが三四郎。
だけど、本気で中身が無い。
昔はまだ売れ切ってないから血気盛んにあれこれ言っていて、金なさすぎてニッチェの近藤にけっこーな額のお金を相田が借りてたり、相田の育ちがアレだったり、相田の兄がアレだったり、相田の父がアレだったりと、書いてみると相田が主役になっている。
だけどここ数年は特に何も無い。
タメになる話も無く、
考えさせられる話も無い。
落ち込むこともないけど励まされることもないし、40歳にもなって陰キャの部室みたいな会話を盗み聴いているようなそれ。
先日はずーーーっと下ネタを捻った暗喩をただただ繰り返していた。
本来なら本気で無駄だと思う時間なのに、心地よい。
「何も無い」が「ある」稀有なラジオ。
小学校の時、何かのアンケートを集計することになって、私は最も多かった「何も無い」を一位とした。
すると教師が私に怒った。
そいつの言い分によると「何も無いのは意見じゃない」とのことで、なんなら馬鹿にされた。
私は恥ずかしい気持ちではなく「お前本気で言ってんの?」と腹が立った。
「意見が無い」ということが総意だろ、と。
「何言ってんの?」と本気で思ったのだ。
思えばこういった教師の言葉や態度に本気で腹が立つ学生時代で、だから未だに教師的立場の人が嫌いだ。
ただ、今思えばそいつの言い分も理解できる。
だとしたら子供に対しては「あなたの言うこともそうよね、「何も無い」も意見。だけど、今はみんなの具体的な意見を集めてるからそれについては今度話そう」くらいの態度が欲しかった。
今度話さなくてもいいしべつに。
めちゃくちゃめんどくさいけど尊重するということはそういうことなんではないかと思う。
私もそれが完璧に実行できているわけではない。
むしろ私なりの気遣いが真逆に受け取られることばかりなので申し訳ないような、もう仕方ないような、そんな気分だ。
少なくとも「自分はまだまだだから人の話を聞こう」と思っている。
教師に対してそれを感じられたことが無いのだ。
こういった全能神/全決定権を持つみたいな姿に擬態している教師/立場が嫌いなのだ。
社会に充分に出てもいないのにそんな態度取るんだから、そりゃ教師になりたい人もいなくなる。
大人になって多数が「教師ってなんだったの?」と思う人が増えたのではないか、と。
我々の世代で教師になりたい人が減っているのだとしたら、我々より下の世代はある意味謙虚なのだ。
人の絶対にはなれない/なりたくない、と思うだろうから。
三四郎のラジオってなんなんだほんとに、と思っていたらこことリンクした。
意味があることしか好きじゃないのに、唯一、本気で意味が無い三四郎ANN。
意味があることだけに囲まれているので逆に意味が存在するのだろう。
ちなみに佐久間さんのイケてないおじさんのほっこりトークも面白い。
あれだけの人なのにイケてないと思わせるところって逆にかっこいいとすら思う今日この頃。
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