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関門海峡に現れた菩薩様

出張の途中で立ち寄った関門海峡。たまたまトワイライトの時間帯に短時間の滞在をするはこびとなった。

九州自動車道上り線の最後に位置する「めかりパーキング」エリアの建物は、新築2階建てにリニューアルされていて、その展望デッキからの眺めは、ちょっとこの世のものとは思えないほどだ。虹色に焼けた空、鈍く銀色に波打つ水面から放たれる反射光、加えてそこを横切る大小無数の船によって作られた「動く絵画」そのもので、僕は強く心惹かれた。

夢中で手持ちのカメラを回す。残念ながら、こんな時の友であるはずの愛機〝Sony α6400〟は手元になく、ポケットに忍ばせていた相棒の iPhone を取り出し南無三と手を合わせながらの撮影だ。

まだ空に薄明かりがかなり残るなか、海峡の両端岸では無数のLEDが既に頻繁に瞬きもしていたが、それでもiPhoneにとっては苦しい低照度なはず。だから、僕は「頼むよ!」と彼をソッと撫でた。慈しみながら。

客観的に見れば、相手はただのケータイに過ぎない。とはいえ、僕は経験的に、「たとえ機械であっても愛でれば調子が良くなる」ことを知っていた。

人が聞けば多分笑うことだろう。けれど、そんな時はいつも、僕の胸に、どこかで目にしたトヨタの社長さんの言葉が力強く蘇る。

「世の中に工業製品は数あれど、〝愛〟とつくものは少ない」

車は「愛車」と呼ばれ、オーナーの〝家族のよう〟に大切にされることを指してのものだ。

愛は地球を救う、ならぬ、愛は機械を救う、か。いや、命を吹き込まれそれに宿った魂が次にはこちらに無償の愛をくれることを考えると、きっと救われているのはむしろ僕らのほうなのだろう。

愛機こそは持ち主を救うのだ!

パーキングエリアに止めてある愛車のほうからクラクションが薄く聞こえてきた。気のせいではない。ちゃんと鳴っている。あるいは近くの車かもしれない。だが、これほど微妙なタイミングの偶然に出会う時の僕には、そのホーンが愛車からのメッセージにもやはり聞こえて仕方が無いのである。

いつも大事にしてくれてありがとう、というような。
そんな言葉がふわふわと風に舞って届く時、僕は愛車に、恐らくは宿っているのであろう菩薩さまが、何かこちらを励まそうとしてくださっている感触をたしかに得る。

さて、現に手にしているもうひとつの愛機、iPhone。その画面に恐る恐る目を戻すと、この薄明かり下の逆境をものともせずに、いままさに極楽浄土から漏れた光を絵の具に混ぜたかのような黄金と朱で、天上の世界は見事に染め上げられていた。

一方、地の世界は対比的にグレーの濃さを深めつつあり、水面を行き交う船の影もまたどこかせわしない。だからだろうか。緩やかに天空を彩る夕焼け空は、まるで地上に居る者全てを優しく包み込もうとする、オレンジ色の甘く淡い綿菓子のようにも感じられた。

船が低く汽笛を奏でる。
その音が耳に届いた幾人かには、きっと何らかのメッセージに変換されて聞こえているに違いない。

少しだけ勇気が胸に湧いてくる。
自分は恐らく一人ではないのだと感じて。

海風が頬を撫でた。

隣で同じ光景を眺めていたご婦人の顔がふとこちらを向いた。

視線が淡く交差する。

「綺麗ですね」

「ええ」僕がそう返そうとした瞬間、そこにボーっと汽笛が重なった。

それが僕らにちょっとした笑顔を与えてくれた。

海峡に浮かぶタンカー船が美しい軌跡を作っている。水平線の彼方に、つい先ほど沈んでいった夕日を追いかけるように。

<下は、たまたま撮れた美しい夕焼けのお裾分けです。タンカー船の行き交う様子など、ぜひご堪能ください!>

【執筆者】水月昭道。福岡県生まれ。博士(人間環境学 九州大学)。西本願寺系列寺院住職。立命館大学客員教授。「子どもの道くさ」(東信堂)が14年の刻を経て2020年夏にSNSでバズり復刊増刷。他に、「高学歴ワーキングプア シリーズ」(光文社新書)、「お寺さん崩壊」(新潮新書)、「他力本願のすすめ」(朝日新書)など。「月刊住職」連載(2017年5月〜2021年7月)。

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