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世界史 その0.5 ホモ・サピエンスの誕生と拡散

 さてその0.5、そこまでして文明化以前を「世界史」に含めたくないのかと自分でも呆れるけど、まあ何となくこうしたかった。
 その0で現在の人類と別種の人類については、世界史としては扱わないと断った。この項ではホモ・サピエンスの誕生と拡散について、ざっと説明する。
 ざっと説明するのにとどめる理由は、メインの「世界史その~」では、高校世界史レベルの歴史を通しで語って、そこに肉付けしていく形で色々テーマ史・地域史・事項や人物についてのコラムを付け足していこうという構成上の問題が第一。高校の世界史では数ページで収まってしまう内容だからね。僕が高校で使っていた教科書では3ページだ。
 もう一つの理由は、古人類は現在まだ未解明の部分が多く進歩のスピードが早い分野だということだ。このジャンルについて語るには手元の蔵書や、市立図書館の本だといささか古い。僕自身の知識も古くなっているだろう。
 だからここではざっとした説明にとどめ、またちょっと反則だけどWikipediaからも引用してしまう。
 いずれしっかり勉強し直して「ホモ・サピエンスの誕生」と「ホモ・サピエンスの拡散」と「新人と旧人」に分けて書くことができるといいなと思っている。

 さて現代の我々と同じホモ・サピエンスは、ある時点でアフリカで誕生した。Wikipediaの「人類の進化」の項目では40万年前から25万年前の間としている。
 普通に考えれば優れた知能ということになるけど、何らかの理由でホモ・サピエンスは、ホモ・エレクトゥスに少しずつ取って代わった。
 やがてホモ・サピエンスの一部はアフリカを出て中東に分布を広げた。聖書の出エジプトになぞらえて「出アフリカ」などとも呼ばれる。中央公論新社「世界の歴史1人類の起源と古代オリエント」では、約10万年前としている。ここから人類は地球上のほぼ全ての土地に広がっていく。最近では「グレートジャーニー」などと言ったりする。

 アフリカを出たホモ・サピエンスたちは中東からヨーロッパではネアンデルタール人、中央アジアではデニソワ人と旧人と呼ばれる人々と出会った。東アジアの原人は出アフリカの前にほぼ絶滅していたようだけど、原人の生き残りの可能性の高いホモ・フロレシエンシスについては出会っていたかもしれない。
 新人とも言われる僕たちホモ・サピエンスと旧人と言われるネアンデルタール人、デニソワ人とはどのような関係だったのだろう。直接的な闘い、食料や居住地を巡る争い、平和的な共存、積極的な混合。まだまだ研究途上の分野だけど、おそらくはその全てがあったのだろう。DNAの研究によると、現代人の遺伝子に旧人の遺伝子も含まれている可能性が高そうだ。
 おっと、一つの研究成果がどうやって受け入れられ定説となっていくか、ということはちゃんと語っておかないといけないね。そのうち独立した記事にしよう。
 さてそのプロセスが暴力的で破滅的なものだったにせよ、緩やかで穏やかなものだったにせよ、3~4万年前には旧人は姿を消して、ホモ・サピエンスは地上で唯一の人類となった。

 アフリカとユーラシアのほぼ全域に広がった後も人類は生息地を広げ続けた。現代より寒冷な気候だった筈の時代に、シベリアのかなり北方や、新大陸進出後はタスマニアやパタゴニアなどにも足跡を刻んでいる。狩猟採集生活では単位面積あたりで養える人数が少ないとは言え、言い方が難しかったかな?狩りの獲物や木の実などに食料を頼る生活は、農業に比べるとずっと広い場所を必要とするということだよ。同じ場所でたくさんの人が暮らすと、木の実や動物がいなくなって、食べ物がなくなってしまうんだ。それを避けるためには食べ物のある場所を探して移動するのが合理的だけど、それでも動物も植物も少ない、それでなくても寒くて暮らしにくそうな場所に広がっていく逞しさは驚きだ。
 ともかくユーラシア全域に広がった人類はさらにその先を目指した。目指したのか、押し出されたのかわからないけど。
 氷河期で陸上で氷になっている水が多かったせいで、海の水は今より少なかった。だから今は海で通れない場所が陸続きになっていたため、現代では海で隔てられている別の大陸へも、人々は移動していった。
 3万5千年くらい前までには、ニューギニア島と陸続きだったオーストラリア大陸へ人類は広がった。3万年前にはタスマニア島まで到達した。
 シベリアのツンドラ地帯に暮らしていた人々は、氷河期で陸地になっていたベーリング海を通ってアラスカへと渡った。現代の感覚だとなんだか逆のようだけど、このころシベリアからアラスカにはツンドラ地帯が広がり、寒いけど暮らすことができた。しかしその先現代ではカナダになるあたりは氷河におおわれていて、人が暮らせる場所ではなかったようだ。
 アラスカの人々は長くそこで足止めされていたけれど、氷河が減ってその南側へ抜けることができるようになると、人々は更に前進した。1万1千年前には南米の南の果てまで到達した。
 オセアニアの島々にも人々は移り住んだが、太平洋の遠く離れた島は長く無人のままだった。それでも紀元後になってからイースター島やハワイ諸島にも人類は到達して、地上のほぼ全ての土地に人間が暮らすことになった。

 氷河期が終わると、気候の変化で栄えている生き物の種類が大きく変化する。マンモスなどの寒さに適応した大型獣が減る。絶滅したのは人類による狩りも一因にある可能性が高い。人々は狩りの獲物を中型の獣にシフトするなどして対応する。環境の変化に体を変化させるのではなく、行動のみを変化させることで対応したのは、人類と他の生物を分ける大きな要素かもしれない。
 気候の変化で影響を受けるのは動物だけではない。植物は動物以上に大きな影響を受けた。気候の変化と食料となる動植物の変化に対応しようとした努力の中から、農耕と牧畜という大発明がゆっくりと姿を表してくる。人類は自分達では意識しないままに、文明への道のりをゆっくりと歩み始めたのである。

 最後はちょっと過剰に詩的にしすぎたかもしれないね。次回は中東における農耕と牧畜の開始、次々回でいよいよシュメル文明に入っていけたらいいなと思っている。

参考文献

 中央公論新社 世界の歴史 1 人類の起源と古代オリエント

 図録 特別展 脊椎動物のたどった道 生命大躍進

 文献の他 Wikipedia と ナショナルジオグラフィック日本版のサイト も補助的に使った。

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