歴史は面白い?つまらない?

 教養編をどのジャンルから始めるか?僕が子どもの頃から大好きな、自然科学系の話、特に好きなのは動物学、古生物学、それと天文。これらの話もおいおいしていきたいけど、今の僕が一番興味があるのが歴史なので、やはり歴史から語っていくのがいいかなと思う。
 君たちがこのページを読む頃には、君たちは歴史を好きになっているだろうか。ひょっとしたら歴史と聞いて既に読む気を無くしているかもしれないね。
 もし君たちが歴史を嫌いになっていたらちょっと悲しいけれど、でも歴史を嫌いになってしまう要素というのはけっこうあるから、そうなっている可能性は充分にあると思う。

 歴史を嫌いな人はなんで嫌いなんだろう。僕は歴史を嫌いだと思ったことがないので推測になってしまうのだけど、暗記することが多すぎるっていうのが歴史嫌いを増やす原因として大きいのかな?事件の起きた年号や、出来事や制度や法律の名前をただひたすら暗記させられる、そういうイメージが植えつけられているんじゃないだろうか。
 君たちは何歳くらいでこの記事を読んでいるかな?一応十二歳くらいなら読めるように書いているつもりなので、その位だとまだピンとこないかもしれないけど、大学入試レベルの日本史・世界史だと暗記科目と言われても仕方のないところはあるね。努力が成績に直結するから好きという人もいる一方で、努力が嫌いだったり、勉強の仕方が悪くて努力が結果に繋がらない人にはたいへんな苦行だろう。
 でも待って。それって学校の教科としての「歴史」のことであって、歴史そのものの面白味とは何の関係も無いんじゃないかな?

 実は学校の教科としての「歴史」が面白くないのは当たり前だと思っている。なぜならそれは歴史を学んでいるのではないから。
 頭に?マークが浮かんだかな。学校の歴史の授業で歴史を学んでいるのではないのなら、じゃあ何をやっているんだろう。あれはね歴史の勉強ではなく、歴史の勉強をするための準備なんだ。
 運動系の部活を考えてみよう。経験者でもなく取り敢えず入部した生徒にルールもあやふやなうちにいきなり試合やらせるってのは、まあ一回やってみてってのはあっても、体力トレーニングも基礎的な技術の練習もなしでただひたすら実戦っていう部活はあまりないと思う。本気度の高い部活ほど地道な体力づくりや基礎的な技術に時間をかけるはずだ。球技の部活なのに一年生のうちはボールに触らないなんて話も聞くことがあるけど、誇張かなそれとも本当なのかな?
 柔道だとより顕著だね。受け身をマスターしてないのに、実戦形式の練習なんかしたら、最悪死んでしまう。

 言いたいことがだんだんわかってきたかな。つまり高校までの「歴史」ってのは、大学やそれ以降に本当の意味で歴史を学ぶための準備、基礎トレーニングなんだ。練習試合ではなく、ひたすら筋トレや走り込みをしているようなものだ。一部には好きな人もいるけど、大半の人がつまらないと思っても無理はない。
 でもこれをやらないと、大まかでもいいから歴史全体の流れが頭に入っていないと、歴史を学ぶことなんてできないんだ。個々のエピソードや限られた範囲のテーマ史を勉強しても、それが歴史という大きな全体の中に組み込まれない。バラバラの知識を統合することができない。それでは雑学にはなっても、学問には程遠い。

 アウストラロピテクスから始まって、幕末から明治維新くらいまでやったら3学期終了で時間切れ、現代につながる一番大事なところが勉強できないという批判は、学校の「歴史」にはずっとなされてきた。
 現代の色々な問題から説き起こして、歴史を遡っていくようなスタイルの授業はどうかという提案も複数、別々の人から、別々の場所でなされるのを見た。それは確かにもっともではあるのだけど、全体の歴史が頭に入っていない生徒にそれをやると、総体としての歴史を学ぶ機会がなくなってしまうのではないか、という危惧が頭をよぎる。それをやるためにも、まず歴史全体を学ぶ必要がある、という反論が浮かぶ。走り込みなんかより相手のディフェンスのかわし方を教えろ、と言われたような違和感と言おうか、受け身なんかつまらないから試合形式で練習しよう、と言われたような危機感と言おうか。

 とは言え、地道な筋トレや走り込みがつまらないのは確かだね。スポーツでそれに耐えられるのは、頑張れば試合に出れるとか、もっと活躍できるとかいう部分があるから、というのも大きいだろうね。一流選手はそういう地道なトレーニングも楽しいと思える人でないとなれない、という話もあるけど、それは例外として。
 学校の「歴史」が耐え難いなら、それは勉強して何の得があるのか見えないからだろう。上手な先生なら授業中ちょっと脇道にそれたような雑談で、歴史の面白さを伝えてくれるかもしれない。ちょっとしたエピソードを通して、数文字のカタカナや漢字でしかなかった人物が血肉を持って確かに存在した一人の人間だと実感できるような魔法を使ってくれるかもしれない。でも残念ながら、全ての先生がそんな魔法を使えるわけじゃない。

 僕は我が子である君たちのために、この魔法に挑戦してみたいと思っている。高校世界史レベルの内容を面白く伝えることができるか。君たちを歴史好きにすることができるか、やってみたいと思う。
 ここまで学校の「歴史」がつまらない理由については書いてきたけど、歴史の本当の面白さについては敢えて書かなかった。これから書くつもりの文章で伝われば嬉しい。
 君たちの父が一生懸命書いていくものなので、ブログが読めるくらいの年齢になったら是非読んで見てほしいな。

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