世界史 その1 文明への長い長い助走

 ようやくこの世界史のまとめも「その1」にたどり着いた。ここでは氷河期の人類が生み出した文化から、シュメール人が最初の文明を築くまでを扱おうと思う。
 まずは高校レベルの世界史をざっと語っていくという方針から、ここの部分も軽く触れて先に進むべきかもしれないけれど、ちょっと思うところあって自分比でやや詳しく扱うことにした。というのも以前、オカルト系のまとめサイトを見ていたとき、シュメール文明の宇宙人起源説の記事があったんだ。メソポタミア神話の神々を宇宙人として、メソポタミア文明の最初であるシュメールの文明を宇宙人から与えられた知識を元にした文明と考えたり、そもそも文明を築いた人々自体が、宇宙人によって遺伝子を操作されて生まれた存在であると考えたりするのは、オカルトの世界では人気も伝統もある説で、それを元にした人気アニメシリーズもあったりする。僕自身もそういう話は決して嫌いではないのでまとめられた書き込みを読んでいたのだけれど、気になることがあった。
 シュメール文明が何もないところから突然生まれたようなイメージを持っていると思われる書き込みがとても多い。冗談じゃないよ、初期の農耕文化からシュメール文明まで何千年かけて進歩したと思っているんだよ!繰り返すけどオカルトを嫌っているわけでは全くない。古代文明は宇宙人が教えた知識に基づいているとかいう話もフィクションとして読む分には、むしろ好きな方だ。学術的にはまだまだ不確定なところをついて、荒唐無稽な話をさもあり得るように思わせる文章に出会ったら、とても興奮する。でも歴史学や考古学の成果と明らかに矛盾するような話を堂々と開陳されるのはいただけない。冷める。
 おっと長々書いてしまったが、歴史系トンデモ話に何を求めているかという話は本題ではない。シュメール文明が何もないところから突然飛び出してきたようにイメージしている人が多いなら、それはちょっと問題だなということだ。

 さて旧人が姿を消し新人の時代になると、石器の製作方法にも変化が表れてくる。石刃技法と呼ばれる技術で、元となる石から細かい破片を打ち出し、破片の方を小さな石器として利用するものだ。これにより、時代は後期旧石器時代に入っていく、ここを詳しく説明しようとすると、猿人の時代からの石器の発展を述べないといけなくなるので、いずれしっかり勉強しなおして独立した記事で述べることにしたいが、できるかなぁ。
 後期旧石器時代の文化で特に有名なのは、ラスコーやアルタミラなどの洞窟で発見された洞窟壁画だろう。牛などの狩りの獲物と思われる動物が画かれた壁画が、南フランスからスペイン北部で発見されている。このような創造的な文化という面では、装身具や偶像なども製作されるようになる。教科書的には呪術などの宗教的概念の誕生と結びつけられて説明されることが多い。

 氷河期が終わると、人類は環境の激変に晒されることになる。今までの生きる手段が通じなくなった人々は新しい生き方を命懸けで模索していく。どれほどの人々が新しい生き方を見つけられずに、命を落としたのだろう。それとも人類は環境の変化に柔軟に対応し、豊かな食料を享受したのだろうか。ともかく新しい生き方が人々の中に広がっていく。狩りの獲物はマンモスなどの大型の獣から、より小型の動物に変化した。漁労をする地域では銛や釣り針、更には漁網が使用されるようになる。植物性の食物を選択的に採集する行動は、やがて原始的な農業へと繋がり、動物の家畜化も始まると、長期的な集落の誕生すなわち定住の開始となる。

 前置きが長くなったが、いよいよ文明へ続く道の始まりに人類は立った。その最先端にいたのは、シリアの沿岸部からパレスチナ地域にかけての、レヴァント地方と呼ばれる地域である。現代の国で言えばシリア、レバノン、イスラエルとなる。この地域では野生のコムギ・オオムギが自生しており、この麦類の採取を中心に狩猟や漁労を組み合わせた人々が、定住化していったようだ。これがナトゥフィアン文化(ナトゥフ文化)で、その開始は紀元前10、500年頃となる。紀元前8、000年から、紀元前7、500年までには定住文化はレヴァントからイラク北部からイラン南部に広がった。いわゆる肥沃な三日月地帯だ。
 獲物を追って移動する生活では難しいが、人々が定住するようになると集落の住民以外の人も集落を訪ねて行くことができる。定住文化の広がりと共に、交易もはじまった。
 農耕の開始時期とプロセスについては、諸説あり、まだはっきりしない部分が多い。野生のコムギを中心とした狩猟・採集で充分生活できる人々が、より安定した食料供給を求めて、コムギへの依存度を高める中で生まれたという説もあれば、定住による人口増加で多くの食料を必要とするようになったことが、農耕を生み出したという説もある。いずれにせよ紀元前9、000年頃には、原始的な農業が始まっていた痕跡が見つかるようになる。農耕の開始前後にはイェリコなどの集落はかなりの規模になっていたようだ。
 農耕が確実に始まっていた紀元前6、500年頃にはより大規模な集落が発達、土器も登場する。アナトリア高原(トルコ)にも定住集落が現れる。紀元前6、000年頃になると、ウシ、ヒツジ、ヤギなどの飼育が確認でき、土器も広く使われるようになる。また神殿を備えた遺跡も見つかっている。アナトリアに伝わった農耕は、さらにギリシアへと伝わるが、ヨーロッパの事情についてはまた項を改めたい。
 紀元前5、500年~紀元前5、200年頃には農耕は更に広がって、ティグリス川流域、ユーフラテス川流域にも広がっていく。そして紀元前5、000年頃になると、いよいよメソポタミア南部に農耕が広がっていく。シュメール文明まで、あと一息だ。
 というのもメソポタミアに農耕が伝わるということは、実は大きなブレークスルーを含んでいるからだ。現代のイラクにあたるメソポタミア地域は、乾燥した地域だ。それまでの自然の雨水だけで作物を育てる「天水農法」が可能な地域ではない。大量の水を湛えた大河が流れてはいるが、その水を農耕に利用するためには「灌漑」が必要だ。一般的に大規模な灌漑には、社会的分業や指導者の存在が必要だと考えられている。それ以外にも乾燥地で農業を営むという挑戦は、あらゆる面で全く新しい生活様式を必要としただろう。
 こうしてシュメール文明につながるウバイド文化が生まれた。人類はいよいよ長い長い助走を終えて、文明をスタートさせようとしている。

 今回は以上、次はその1.5で歴史の勉強での地理の重要性について触れ、その2でシュメール文明に入っていく予定。
 補足として、レヴァント以外でも独自に農耕を始めた地域がいくつもあって、中でも中国の長江流域でのコメ栽培は、最近になって西アジアの農耕開始より古い可能性が出てきている。こちらは古代中国の項でやりたいなと思っている。

参考文献

 中央公論新社 世界の歴史 1 人類の起源と古代オリエント

 中央公論新社 シュメルー人類最古の文明

 主婦と生活社 世界史MAPS 歴史を動かした72の大事件

 山川出版社 詳説世界史 三訂版

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