キョウエイボーガンにまつわる思い出話【2022・3・30追記】

 ウマ娘というスマホ向けゲームが随分好評なようで、色々懐かしい馬名をオタク界隈のサイトなどで見かけることが増えた。
 ミホノブルボン、ライスシャワーという名前が並ぶと、個人的にはキョウエイボーガンのことを思い出さずにいられない。
 かつて僕はキョウエイボーガンのオーナーさんから、掲示板に書き込みをもらったことがある。オーナーさんと言っても、競走馬時代の馬主さんではない。引退後に彼を引き取った、一人の女性ファンの方だ。

 順を追って話をしよう。記憶だけを頼りに書いているので、間違いがあったら許して欲しい。

 ミホノブルボン、ライスシャワー、マチカネタンホイザなどがクラシックを争った頃、僕は本格的には競馬観戦にのめりこんでいなかった。キョウエイボーガンについて詳しく知ったのは彼の現役時代からかなり後に、競馬についてのサイトを作って公開するようになってからだ。
 まだブログが主流になる前の90年代。その頃は個人でもホームページ作成ソフトを使って、人によってはHTMLタグ直打ちでサイトを作っていた。現在でもカウンターや掲示板を備えたサイトが懐かしネタとして取り上げられたりするが、そういうものを僕も作っていた。

 そのサイトにキョウエイボーガンに関する記事をのせた。競走馬の余生を取材した本でキョウエイボーガンの記事を読み、勝つためにベストを尽くしたにもかかわらずミホノブルボンの三冠をぶち壊した悪役にされたキョウエイボーガンが、引退後一人の女性ファンに救われた物語に感銘を受け、他の人にも伝えたかったのだ。元記事をそのまま丸写ししたような稚拙な内容だったのではないかと思うが、接待ゴルフのように周囲に気を使ってもらって取った三冠に何の価値があるのか!と憤り、競走馬を救った一人のファンの行動力を称えた。
 するとサイトの掲示板に、その記事に登場した引退後のオーナーだという方から書き込みがあり、取り上げてくれてありがとうとお礼をいただいてしまった。

 この方はキョウエイボーガンを応援していた、ごく普通の競馬ファンだった。引退後のキョウエイボーガンに会いに行きたいと思った彼女は、キョウエイボーガンの行く先を問い合わせたが、種牡馬入りしたわけでもない馬の行き先は簡単には分からなかった。競馬サークルに何の繋がりもない、いちファンがその行き先を突き止めるのにはどれ程の苦労があっただろう。ともかく彼女がキョウエイボーガンにやっとの思いで出会えた時、彼は肥育場、つまり肉にするために馬を太らせる施設にいた。彼女は個人でキョウエイボーガンを引き取り、個人のお金で牧場に預けて面倒をみてもらうことにした。オーナーさんの経済状況まで詳しく知るわけではないが、最初に読んだ記事では裕福なわけでもない本当に一般の方で、馬を一頭養うのが簡単な決断ではなかった筈だと強調されていたと思う。

 掲示板でどんなやり取りをしたのか、サイトを閉じる時にログを取っていなかったのが悔やまれる。ただ一つ「中央競馬の重賞勝ち馬で繁殖にも乗馬にも使われていない馬」には補助金が出る制度が発足したという話題に、別の方が「月3万円はあまりに少なすぎる」旨の書き込みをしたのに対し、オーナーさんは「月3万円でも本当に助かっている」とおっしゃっておられたのは印象に残っている。今思い出してみて、不平を言う前に行動する方と言うのはこういうものなのかと、わが身を顧みて思わずにいられない。

【2022・3・30追記】
 この記事を読み返した際にキョウエイボーガンのハッシュタグを押してみたところ、キョウエイボーガンが今年の初めまで生きていたことを知りました。
 引退直後の危機を救われて、馬としては長寿といえるだけの日々をすごすことのできたボーガンは幸せな馬だと思います。

 ところで最近読み返した競馬マンガ「馬なり1ハロン劇場シアター」の4巻に収録されたエピソードではミホノブルボンの勝った京都新聞杯(当時は菊花賞トライアル)がキョウエイボーガンを主役にして描かれています。
「ブルボンに鈴をつけるのは同じ脚質のオレの役目か?」と悩むボーガン君。引退後の数奇な運命に焦点が当てられがちなキョウエイボーガンの、現役時を知るよすがとして、ご興味があればご一読を。

 最後にキョウエイボーガンの訃報を受けてのnoteを2記事紹介いたします。

【追記ここまで】

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。本業のサイトもご覧いただければ幸いです。


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