君は権威主義の敗北を見たか

 関西の田舎から上京してきたばかりの頃の僕は、将来の夢は特に無い、趣味はあるけど能が無い、金はあるけど欲が無い、どこにでもいるゆとり世代の大学生だった。ただ、誰よりも自分が好きなものについてはハッキリと言える自信はあって。都会の有名な大学に行けば、それを共有しあえる仲間ができると信じてた。

 でも、都会の人たちも田舎の人たちと何も変わらないってことにすぐ気付いた。エリート至上主義的な価値観と、それを絶対とする空気。そこにさらに大学の名前が重くのしかかる。上手く息ができなくなった僕は、授業にもサークルにもほとんど行かなくなった。昔からずっと好きだったものも、全部正しくない気がしてきて、田舎から持ってきたものは全部実家に送り返してしまった。

 そんなときに人生を変える、衝撃的な出会いが、なんていう都合の良い展開はもちろん無く。でもたまたま、ちょっと面白い子に出会って、なんとなく気が楽になったのを覚えてる。歳は一個下で、大学の後輩なのは確かなんだけど留年しまくってて何年生なのか分からない。所属する体育会の部活では毎年非常に優秀な成績を残しているらしい、溌溂とした印象の、端正な顔立ちの子だった。僕に出会うやいなや、某ハリウッドスターに憧れていて、自分は絶対に彼そのものになると、幼い子供のように語っていた。共通の知人によると、彼は小学生の頃には既にそのスターに夢中で、部活も演技の基礎になるから真剣に続けており、同時にその道の教室にも通っているとのこと。ちなみに彼の性格はお世辞にも人格者とは言えず、というのも、彼は自分の夢を語ったあと、初対面かつ食事中なのにもかかわらず、僕に無修正の違法アダルト動画の中出しシーンを延々と見せ続けてくるようなセクハラ野郎だった。

 その数年後、僕の卒業式の日、その子が学長に名前を呼ばれて壇上に上がり、大学の名声向上に特に貢献にした生徒数名にだけ送られる大変な賞を受け取っているのを見た。部活での成績が表彰されたようだ。ただ、彼は留年を繰り返しすぎたせいでその年で大学を放校になることが決まっていた。その賞は教育機関の偉い人たちが決定する、言わば権威主義の象徴みたいなもので、それが彼にとって価値あるものだったのかと言われたら、学業の成績から察するに、そうじゃなかったはずだ。でも彼のひたむきさを、アカデミズムも称賛せずにはいられなかったんだと思った。そのとき僕はこの大学、この場所を選んで良かったって初めて思えた。権威主義の敗北の瞬間を、その日、この目で見れたからだ。

 それから月日は流れ、僕はかなり元気になった。職場での人間関係に悩みうつ病と診断されたり、持病が再発したり、色々と苦労はあったけれど、とりあえず今は大学時代よりずっと自由に自分らしく過ごせている。ときどき他人と自分を比較して落ち込んだり、つまんない気分にもなるけれど、そんなときはいつも思い出すんだ。初対面の僕に違法アダルト動画を嬉しそうに見せてきた、あの小さなスターのことを。

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