姉の結婚

 姉が結婚した。

 わたしたちの父は戦後の農地改革で没落した大地主の長男だった。母は市内で一番大きい総合病院の院長の末娘。

 そんな両親から生まれた2歳違いの二人の娘。大層優雅で上品な暮らしをしておりました。

 なわけあるかーい。

 ここは地方の港町。少し自転車を走らせば海と山。こんな豊かな環境でお上品に勉学に励み習い事に精を出せというのは、好奇心旺盛な子供たちにはどだい無理な話である。

 なかでも姉は探究心が強かった。わたしはよく姉に田んぼに突き落とされた。なぜそんなことをするのか怒ったら「泥水の深さを知りたかった。自分で確かめるのは汚れるしヒルがいそうだから嫌」と言われた。

 姉は癇癪持ちだった。アフリカ出張から戻った父が、お土産で本物のダチョウの卵の置物をくれた。姉は癇癪を起こしたときにそれを壁に叩きつけ粉々に割った。わたしはその光景を唖然と眺める両親を子供ながらに必死にフォローした。

 姉は友達がいなかった。学校ではいつも一人で本を読んでいた。見兼ねた担任が母に相談した。母は「あの子は読書しているときが一番落ち着くようなのでお気になさらず」と答えたらしい。中学に上がる頃には優しい友達がたくさんできていたので、わたしも安心した。その頃の姉の将来の夢は「幸せな老後」だった。中学生のくせに老後のことしか考えていないなんてフザけた奴だと思った。

 姉は成績が悪かった。高3のときの定期テストを盗み見したら英語が8点だった。勉強机に置かれた『ポレポレ英文読解プロセス50』をめくったら最初の問題で力尽きた形跡があった。なのに知らん間に某国立大学の医学科に合格していた。連絡をくれなかったので後から知った。


 そんな姉が結婚した。
 相手は大学を2回留年し、1浪した姉のクラスに舞い降りてきた1つ歳上の人。ちょっと、いや、かなり抜けているところもあるが、誰よりも情が深く穏やかで、姉なんかには勿体無いくらい素敵な人だ。

 今の姉は深夜3時に病院から叩き起こされ、臓器提供のために死体の眼球をくり抜いたりしている。刑務所から出たばかりの強盗犯から手書きのラブレターをもらったこともあるらしい。なぜそんな大変な仕事を続けられるのか聞いたら、「仕事だから」だそうだ。

 「仕事だから」。幼い頃にワーカホリックな両親から何度も言われた。わたしはこの言葉が大嫌いだった。でも最近は結構お気に入りだったりする。人が働く意味の深淵を感じられるから。わたしも深夜3時に数万件のデータを確認しながらエクセルの作業をする。時差のある国の人たちと何時間もミーティングをする。辛いときも多いけれど、「仕事だから」ね。

 わたしは今の姉のことを「ある日思い立って綺麗な人間の皮を被ってみたら意外とすんなり人間世界に馴染めてしまった妖怪」だと思っている。しかし姉に言わせてみるとわたしのほうが相当変ちきな奴らしい。全く心当たりが無いが。ただ、わたしたちはよく似ているところが2つだけある。地元の自然に育てられた好奇心と、仕事熱心な両親から受け継がれた責任感。この2つの狭間でいつも揺れ動いてる。それを苦しんだり楽しんだりしている。
 
 この先、色んなことがあるだろう。わたしたち姉妹は基本的に何があっても干渉しない。でもこれからも良き隣人でいたいと思う。人間の世界に迷い込んだ、たった二人の妖怪の姉妹だから。

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