『想像の共同体』を読む1

こんばんは。
実は、大学の友人と読書会を行っております。
今回読む本は、ベネディクトアンダーソン著/白石隆、白石さや訳(2007)『定本 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』です。
今回読むのは、Ⅰ序であり、友人がレジメを作ってきてくれました(本当は私がⅡ文化的根源を作ってくる予定だったのですが、断念しました)。
以下、その読書会の要約などを載せます。

「第二次世界大戦以降に成功したすべての革命が、みずからを国民的〈ナショナル〉用語で規定したこと〔・・・〕そうすることで、革命前の過去から継承した領土的、社会的空間にみずからを確固として定置してきた」(p.19)
「マルクス主義体制」との剥離としての国民国家の理解。
私見)私たちはマルクス主義について十分に知見があるとは言えないため、断言は難しいが、およそ、以下のようなことを言っているのではないだろうか。労働者による革命、それによる世界再編が目指されたが、それは実際として全世界に広がるものではなく、結局ww2以降に成功した革命は、国民、エスニシティを強調したものに過ぎなかった。

「ナショナリズムについての妥当な理論となると見事なほどに貧困」(p.20)
しかし、事実的には国民国家が影響力をもっているが、理論的な面においてはまったくもってこの事実を裏付けるものはない。

「ナショナリズムのこの「変則」をもっと満足のいくように解釈するにはどうすればよいのか」(p.21)
本書の目的。マルクス主義にとっての「変則」。「特殊な文化的人造物」(pp.21-22)

「まず簡単に「国民」の概念について考察し、さしあたっての定義を与えておく」(p.22)
→「イメージとして心に描かれた想像の政治共同体」(p.24)
・国民概念の3つのパラドックス 
➀「歴史家の客観的な目には国民が近代的現象とみえるのに、ナショナリストの主観的な目にはそれが古い存在にみえる」(p.22)
私見)高校生の時に感じた、日本という国の普遍さなど。とても古くからあるようにかんがえてしまうのはありがち。
②「社会文化的概念としてのナショナリティ〔・・・〕が形式的普遍性をもつ〔・・・〕のに対し、それが、具体的にはいつも、手の施しようのない固有さをもって現れ」る。(p.23)
私見)生まれたときに「○○人」と普遍的に定義づけられる。にもかかわらず、日本人と中国人のように、相いれないもののように語られる?
③「ナショナリズムのもつあの「政治的」影響力の大きさに対し、それが哲学的に貧困で支離滅裂」(p.23)

「国民と国民国家は、〔・・・〕「親族」や「宗教」の同類として扱ったほうが話は簡単」(p.24)
私見)よく見る、普段使っている宗教と分けるため、ここで定義する宗教は、「宗教」として記述する、というような文章は、もともとの宗の大きさをしめすものとして証明されるのではないか。

➀「国民は〔・・・〕想像されたもの」(p.24)
→「共同の聖餐のイメージ」(p.24)
②「国民は主権的なものとして想像される」(p.25)
→「王朝秩序の正統性を破壊」(p.25)
③「国民は一つの共同体として想像される」(p.26)

雑なまとめとなってしまいました。何か変更などがなければ、毎週行う予定なので、随時更新していきます。


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