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トラウマ|daily

(本稿は、うでパスタが2021年2月15日に下書きに保存したまま残されていたものです)

「復讐しても死んだ人は生き返らないんだぞ!」と言われたら、「いや、生き返ったのは俺さ」と答えなければならないそうです。それができないなら作家への道は諦めた方がいい、と聞きました。

ところでこのやりとりはどちらも正しくて、ひとが何かにトラウマを受けたとき、どうしても大切なのはいつかなんとかしてこのトラウマを乗り越えていくことなのですが、その唯一の方法が復讐であるというときにはやはり復讐するしかないのではないかと、そう思わざるをえない事件というのが我々の目に触れる世界でも多数発生しております。そして我々の目に触れない世界にこそ、そうした事件が多いことはある程度普通に生きて歳をとってくれば何となく分かってくることなのでもあります。

私自身のトラウマに関していえば、これはひとつには三〇〇年間男児の絶えなかった家系にあって十三代目に男子として生を受けたことに端を発するものがひとつ、そして幼少期からの病が十六歳で極みに達し人生を土俵際まで追い込んだことがもうひとつであり、「復讐する」と考えたときにはまず自死を選ぶということが最初に思い浮かびました。
しかしそれほどの度胸もないのであれば、その次は「血脈を絶つこと」であり、それはつまり家系を死に至らしめるため、自らは子をなさないということしかありません。実際には私にはいま私の血を引く子がおり、私はこの子をできるだけ私よりも遠いところへ向けて投射することによってのみ私自身のトラウマを克服することができると信じて子育てをやっております。
いかによかれと思っても、トラウマを背景にした子育てが子にとっていいわけがないということは自明であります。

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