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phoenix | daily

自分がやれば失敗したものを立て直し再生させることができる、というのはなかなか根強い感覚のようです。以前に勤めていた会社は一部で事業の再生のようなことをしていたのですが、新卒のやりたいことを聞くと口を揃えて事業の再生をしたいと言うわけです。別に新卒で事業の再生をしたって良いとは思うのですが、何を根拠に失敗したものを立て直せると思っているのかというのがやはり分からないわけです。

人生には数多くの分岐点があり、自己責任が全てとは言わないまでも、その一部の責は当然我々自身に帰されるべきものだということには異論はないでしょう。環境や時流、選びたくとも選べない選択肢もまた数多くあるわけですが、全てを環境の際にしてしまうのは無力感に苛まれてしまいます。まあロスジェネ、氷河期世代というのは選択肢がそもそもなかったという世代であり、その救済というのは急務でありかつ本来であれば国力に直結している労働力の世代なわけで、これは悲惨であります。

怠惰や怠慢、傲慢や放埒の結果としての失敗を本来あったであろう規律や事業の採算というものに戻すというのを再生と呼ぶべきなのか、ということは各論あると思います。一方で、失われてしまったそれこそ平成の30年というようなものは再生ではないのでは、と個人的には思います。最近よく聞く、無限の可能性というものは1秒毎にその可能性が狭まっているということとセットで語られるべきであり、時間というものは何があっても再生できないわけです。

というわけで、人生の業を背負って再生の日を待ち侘びましょう。



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