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雨乞い

「1354日目の嵐の日。
人類が地下で生活をするようになってから14478日が経過した。
湾岸のタワーマンション群は廃墟となって崩れ去り、いまは防波堤の役割を果たしているらしい。らしい、と伝聞調なのは現場を見に行った者が殆どおらず、見た者も嵐の中の視界の悪い中でかろうじて遠巻きに見た、という程度なので正確なところは分からないというのがその理由だ。気候変動のリスクについて研究者は、地球規模で考えればどのような変化が起こってもおかしくはない、という話をしていたように思う。ただ、人類の多くは夏が暑すぎる、冬が寒すぎる、ハリケーンが多すぎる、突然の旱魃で作物が全滅した、といったその時々の事象ごとに嘆き対策を求めることはあったものの、もっと長期的な視野でこの変動を受け止めてはいなかったのだろう。20年前に対策として何かをしていればこの気候変動が避けられた、あるいは人類の生存に適したレベルの変動に抑えられたのかという事後的な考察はいくらしても意味がないことである。そもそも地球環境の変動において人類が寄与している割合がいったいどれほどのものなのか、というのを正確に計量することができたのであろうか。とはいえ、過去数十億年の気候変動の記録として地殻に刻み込まれた情報から、この程度の変動幅があることは予測はできたのかもしれない。」
彼女は音読をやめ、私の方に向き直ると、「地球最後の日、というものが科学的に予測できない時代の人々は日々の天気のことで一喜一憂していたんだね。」と言った。彼女は地球最後の日の話をするのが大好きだ。生まれながらにカウントダウンが始まっている世代なので、地球の滅亡というのがつまり人生のカウントと並走しているわけで、悲しいとか、回避するとかといった感覚以前に、そのようなものだ、という自然な受容があるのだろう。時間が流れる、カウントダウンは進む、という感じだ。かく言う私も、喪失感というものはなく、生まれながらにそれを受け入れていたような気がする。人は自分にはどうにもできない大きな流れというものに対しては割と寛容に受容できるものなのかもしれない。

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キノコです。

天気予報の、32℃、35℃、37℃という数値化された暑さの刺激を見るたびにマゾヒスティックな感覚から、ああ嫌だ、と思いながらも繰り返し見てしまいますね。暑さに弱いという自覚があるので、天気予報の不要不急の外出はお控えくださいというアドバイに従い極力外を出歩かないようにしているのですが、それでも子の送迎や通勤の数十分は外に出なければならず、その際には極力日陰や、地下を求めて移動するようにしております。本来ならタクシーで移動しているところなのですが、先日よりは肥満対策のためにタクシー乗車を控えることにしているので、頑張ってデブ汗を流すようにしております。減量はいまのところ順調です。

人には様々な原体験というものがありますが、キノコの夏の原体験は学生時代のプール通いです。当時住んでいた4階建てのマンションから歩いて数分のところに屋外の市営プールがありました。25メートル6コース程度の小さなプールと子ども用の浅いプールが併設された小規模なもので、夏休み前の平日の昼間には誰もおりませんでした。普段はそのプールの横にある公園の砂場で思索に耽っていたのですが、ある時あのフェンスの向こうには何があるのだろうか、と思いたち見に行ったらプールがありました。

中高一貫の帰宅部だったキノコには特に身についたスポーツの技能はなく、義務教育で習った水泳であればできたので、身体を動かす必要も特には感じていなかったものの、十分な時間があったことやアクセシビリティのよさという環境的な要因が重なり、そのプールに通うようになりました。平日の昼間に誰もいないプールでBGMもなく黙々と泳ぐというのは特別な体験で、その夏の間は結局毎日のように通っていたと思います。プールから部屋に戻り、近所のパン屋で買った食パンでキュウリとチーズのサンドイッチを作り、食べて少し昼寝をする。その後は読書や調べ物、書き物をしながら過ごす、という今から振り返ると夢のような時間の使い方だったなと思います。そのような時間を過ごすことができたから今の自分があるのだろうな、と時々振り返っては思います。いつかまたそのような過ごし方ができるように、今の生活に勤しんでいるような気もします。

さて、今回はお天気の話です。

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