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「私たち」の滅亡|2024-04-07

今回は、うでパスタが書く。

キノコさんの受難がつづいている。キノコさんの正確な年齢は忘れてしまったけれど、人間(というか日本人の信仰)には厄年があって、Facebookみたいなものを見ているとその前後に様々のトラブルを報告する、特におっさんの姿があとを絶たない。
「厄年ですわ〜」という人のなかには、「いつもじゃない?」という人もいて、そういうのも含めると認知バイアスが姿を現すものと思うが、それでも人類の歴史は進化らしい進化を果たすにはまだあまりにも短く、肉体や認知能力の衰えがもたらす事故が頻発する時期が統計上の記録として風習に刻まれているなら耳を傾けても損はないだろう。
私はいつか打ち明けたとおり、人のカネも入れて六千万円ぐらいの損失を出したのがちょうど後厄の歳だったかと思う。細かい説明は省くが、あの出来事はたしかに、青春時代から長くつづいた僕のなんらかに止めを刺した。僕はこめかみのすぐ脇に深々とナイフが刺さる「ドンッ」という音を聞き、それからまだ自分が生きていると気付いた。それからもしばらくそうして自分の呼吸する音を聞いていた。

橘玲がまたリバタリアンの話をしている。「世界を動かしているのはこういう人間たちだ」という切り口だが、もともと現代アメリカの思想(仮にそんなものがあればの話だが)とリベラリズムの再定義、リバタリアニズムの台頭に関しては、訳者である橘玲による序文が本体ともいえる「不道徳な経済学:転売屋は社会に役立つ」に書かれていたことがほとんどそのままである。

今回はむしろそんなことよりも、イーロン・マスクやピーター・ティールといった同時代を代表するサイバー・リバタリアンの異常な人格について紹介している点が重要だ。私自身は過去に、「ピーター・ティールは幼少期にいじめられてああいう人間になった」というようなことを憶測で書いたことがあるが、自信がないので三年あまりものあいだ下書きに保存していた。橘玲はそうではなく、「そういう人間だったからいじめられたのだ」と、初めから「違う人間」が生き残り、力を持つ立場に着くと現在のサイバー・リバタリアン(テクノ・リバタリアン)たちができると読み解いている。

「人は生まれながらにして自由であり、平等である」というのは科学的でも現実的でもない思想であり、それも比較的あたらしい思想だ。上掲書のなかで橘玲は、「自由も平等も、サルにも共通する動物の本能に根差した概念だ」という考え方を数々の実験を例に引いて紹介しているが、それはいずれも現代的に引き延ばされた自由や平等の概念とはほとんど無関係に思われるほど原始的な話であって、サルなら奪われたことにすら気付かない自由や平等をめぐって私たちは日々血で血を洗うレスバトルを繰り広げている。そしてリバタリアニズムが、特にサイバー・リバタリアニズムがリベラリズムと激しく衝突しながら削り取ろうというのはその手のいわば純粋に思想由来の自由や平等なのだ。

高度にシステム化された思考を行うのが得意であることから、知識化・情報化した社会で特権的なまでに活躍・革新の権利と自由を獲得したとされるテクノ・リバタリアンたちは自分たちにとって自明である正義を実現するためにその能力と資源を活用する。彼らの武器は端的にいえば資本力であり、それに参集し、それを称賛する自分たちとおなじような、あるいはそれよりは少し劣るが数においてはより多いひとびとが生み出すモメンタムだ。それでもその数を人類全体と比べれば決して数パーセントにも及ばないだろうが、彼らは歴史上の変革者たちとは異なり政治を利用しないため「一人一票」の原則が邪魔をすることはないし、誰かを説得する必要もない。彼らはただ自分たちの頭のなかにある使命に仕える者たちだといえるだろう。

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