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indigo la Endと夜:カツセマサヒコ『夜行秘密』を読んで

危険な香りの漂う二次創作小説


私は川谷絵音率いるindigo la Endが大好きだ。聞かない日はないし、趣味のカラオケでもindigo la Endばかりを歌っている。もちろんキーが高過ぎるから、カラオケでうまく歌えず、DAMにはいつも渋い採点をされる。ただ、そのひどい有様を点数の形で見せつけられるたびに、川谷絵音のボーカリストとしての凄さを実感するのだ。仙台でのライブ開催があれば、必ず駆けつける。それくらいのめりこんでいる。

アルバム「夜行秘密」は、ファンを自認する私にとって、特に印象深いアルバムだ。前作「濡れゆく私小説」にくらべ、「左恋」「たまゆら」「晩生」など危険な香りのするサウンドの曲が多く、危険な響きとはいえずとも、どこか不安になるメロディーやギターが多い。

「夜行秘密」収録曲を、一つの大きな物語にまとめあげたのが、カツセマサヒコ氏の『夜行秘密』である。同書も、アルバムに漂う危険な香りをそのまま受け継いだ話だ。とはいえ、音楽を聴き込んだファンからすれば、まさか死の香りも漂う小説になるとは思わなかっただろう。カツセ氏の創造力には感心せざるを得ない。

バラバラなものとして解釈していた歌詞たちが、つまり、「点」でしかなかった歌詞たちが、一つの「線」としてつながりだし、それが「面」となって私たちの前に躍り出る。こんな読書体験は初めてだった。この本に巡り会えた幸せを噛み締めたい。

夜が意味するもの。カツセマサヒコ『夜行秘密』の場合

ここで、私にとって一番印象的だったのは、夜の描き方である。この小説を読むにあたって、極めて中心的な役割を担っていた。一言でいえば、暴力が振るわれる時間、また憎悪の時間だ。否定的なニュアンスを持つと言っても良い。

凛の場合。凛は、バンド・ブルーカラーのメンバーである岡本音色と別れたあと、パワハラで炎上し全てを失った宮部と偶然の出会いを果たす。そして凛は自らの境遇を宮部に重ね、宮部の全てを受け止めようとする。その後、宮部がDVを振うようになっても、その思いは変わらなかった。そのDVは、宮部が帰宅した夜に行われる。
凛が英治との出会いを期に、宮部との別れを決意した。しかし、家を出るタイミングが悪く、宮部に遭遇してしまう。逆上した宮部は凛を殺してしまった。なんとか生きながらえようとした凛も、夜を明かすことができなかった。

英治の場合。英治は、宮部に対する怒りを胸に湛え続け、ついに事故を装って、出所後の宮部を轢き殺した。轢いてもなお、2キロメートルもの距離を引綴り続けた。それほどまでに英治は宮部を憎んでいた。また、その犯行も夜におこっていた。そして英治にとって、夜は憎しみを携えた長いトンネルのようなものでもあった。だからこそ、宮部の殺害を決心した英治は、「朝が来る」と呟くのである(「不思議なまんま」章)。

このように、カツセ氏の小説においては、夜は暴力が起こる場所として描かれている。タイトル「夜行秘密」はきっと、脚本家・凛の遺作どおり宮部に復讐した殺人という「夜行」を、秘密のままに隠しておく、という意味であると思われる。

夜の持つ意味。indigo la Endの場合。

なぜカツセ氏の夜が持つ象徴的意味について論じたのかと言えば、それは私が以前から持っていた、indigo la Endの夜の描き方から受ける印象と全く異なっていたからだ。

「夜の恋は」を少し引用する。

嫉妬させてよ
それくらい好きにさせてよ
あなたを見るたび痛くなってしまうくらい
好きにさせてよ

好きにならずにいたかった
あなたを知らずにいたかった

indigo la End「夜の恋は」

また、違うアルバムの歌であるが、夏夜のマジックの歌詞も引用する。

記憶に蓋をするのはもったいないよ
時間が流れて少しは綺麗な言葉になって
夏が来ると思い出す別れの歌も
今なら僕を救う気がする

indigo la End 「夏夜のマジック」

改めて歌詞を読むとどうだろうか。「夜の恋は」では、好きになったことを後悔するほどに、結ばれなかった恋を嘆く歌だ。失恋したら、きまって泣けてくるのは夜だし、実際タイトルも「夜」を含む。そして、「夏夜のマジック」でも、失恋して堪えようのない心情が描かれている。その胸に空いた穴を埋めるために、歌い続ける姿が印象的だ。

こうしてみると、indigo la Endは、夜を失恋した気持ちが溢れ出る時間として描いている。夜は長い。だからこそ、とりとめなく溢れ出る感情を制御できず、泣きながら悩む。恋に悩んだ夜にindigo la Endを聴きたくなるのは、川谷絵音らの音楽が私たちの傷を癒すからなのだろう。

おわりに。「夜」に新たな意味を付与するということ。

indigo la Endは夜をテーマに歌うアーティストだと思っている。そこで描かれる「夜」に危険な香りを付与したのが、カツセ氏による小説・『夜行秘密』であった。

小説『夜行秘密』で描かれる「夜」は、indigo la Endの歌詞を読んでいるだけでは決して連想されないものである。つまり、カツセ氏は、歌詞では描かれなかった(描こうとしなかった)物語をあえて付与している。そもそも、バラバラの情景を描いているであろう個々の歌詞を結んでいくこと自体、カツセ氏がオリジナリティを加える余地を残している。そしてさらに、新たな
「夜」のニュアンスを加えるというのだから、indigo la Endオリジナルの歌詞からほとんど離れているといってもよい。

ただし、これは私たちが物語を楽しむ上で奥行きを与えているのはいうまでもない。「夜」に新たな意味を付与することで、我々は歌詞を再解釈することができる。「そんな見方もできるのか」と唸った読者も多いに違いない。それだけでなく、我々はカツセ氏の創作に触発され、歌詞たちを自分の思うがままに解釈し、結びつけて楽しむきっかけを与えてくれる。自分だったらこう繋ぐのにな、こう解釈するのにな、と考えながら読んだ読者も多いことだろう。

私も、いつかアルバム「夜行秘密」で小説を書いてみたいと思った。そこで「夜」にどんな意味を持たせようか。考えるだけでワクワクが止まらない。




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