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復活祭(イースター)

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レント(四旬節)、受難週、復活祭に関連したバイブルメッセージなどをまとめました。
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イエスが生きておられるから

今年のイースター(復活祭)の頃に私がよく聴いていた曲の一つに、『Because He Lives(主が生きておられるから)』という賛美歌があります。日本語では、『主は今生きておられる』、『み子イエス世人のため』、『私をゆるすために』などの題名で訳されています。 この賛美歌は少しユニークで、イエスの復活を歌っているけれど、2番の歌詞が親子についてのものになっています。ほとんどの日本語訳では省かれているのですが、実は、この賛美歌で最初に書かれたのは、この部分でした。 簡単に翻

世々限りなく生きている

わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。(イエス・キリスト、黙示録1:18 口語訳) I was dead, and behold, I am alive forevermore. (Revelation 1:18 NASB)

ハッピー・イースター!

驚くことはない。十字架につけられたナザレのイエスを捜しているのだろうが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。(マルコ16:6 聖書協会共同訳) Be not affrighted: Ye seek Jesus of Nazareth, which was crucified: he is risen; he is not here. (Mark 16:6 KJV)

受難日

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。(1ペテロ2:24 新改訳2017) He Himself bore our sins in His body on the tree, so that, having died to sins, we might live for righteousness; you have been healed by His woun

イエスを力づけた天使

そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。(ルカ22:43 口語訳) Now an angel from heaven appeared to Him, strengthening Him. (Luke 22:43 NASB) これは、有名なゲツセマネの祈りで、イエスが次のように祈った後の出来事です。

もし神の子なら

私たち人間は、「神だったら、こうするべき」という自分の考えによって、神のやり方を裁くことがあります。それは単純に、神のやり方や知恵が私たちのやり方や知恵をはるかに超えているのに、自分を神と同等か神の上の立場に置こうとしているだけなのですが。(イザヤ29:16; 55:8-9) 「神だったら、こうするべき」と言う時、それはそもそも、その人には神を信じる気持ちなどないからという場合がよくあります。イエス・キリストも、十字架にかけられた際に、自分を神の子と信じない人たちから、「も

棕櫚の主日

ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。(ヨハネ12:13 新改訳2017) Hosanna! Blessed is he who comes in the name of the Lord, even the King of Israel! (John 12:13 ESV)

悲しみの人で、病を知っていた

彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。(イザヤ53:3 口語訳) He was despised and rejected by men, a man of suffering who knew what sickness was. (Isaiah 53:3 HCSB)

復活であり、命

わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。(イエス・キリスト、ヨハネ11:25 新共同訳) I am the resurrection and the life. The one who believes in Me, even if he dies, will live. (John 11:25 HCSB)

「この人を見よ」

クリスチャンにとって、春と言えば、イエス・キリストの受難に思いを寄せながらイースター(復活祭、今年は3月31日)を待ち望む季節です。 受難とは、イエスが裁判と処刑によって、計り知れないほどの苦痛を精神的にも身体的にも味わったことを言います。裁判は短時間のうちに何度も行われており、祭司長や議員たちはイエスが死刑に値するとしましたが、ローマの支配下にある彼らには処刑の権限がなかったため、総督ピラトのもとにイエスを送りました。 ピラトは、「彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみ

希望を与える傷痕

「生まれ変わったら、どんな身体になりたいか」という、アンケート結果をまとめた記事を読んだことがあります。 スタイルがいい、脚がきれい、立派な筋肉、ハリのある肌など、それぞれの回答者が思い描く、完璧な「理想のボディ」がリストアップされていました。当然ながら、傷のある身体が欲しいという人は一人もいません。 さて、イエス・キリストが復活された時、それは単に息を吹き返したわけではなく、もはや死ぬことのない、新しい身体に変わっていたので、すべてを完璧な状態にすることもできたでしょう

史上最大の逆転劇

ドラマやスポーツ、また人生においても、たくさんの敗北や問題の末の逆転勝利には、私たちの心を感動させるものがあります。 聖書には、表面上は失敗や敗北だらけであっても、実は目に見えないところで神が働いておられ、その結果、人生どん底状態からの逆転を遂げた人たちがたくさん登場します。 ヨセフやヨブなど、この世にいる間にそれが起きた場合もあれば、「金持ちとラザロ」のたとえ話(ルカ16:19-31)のように、この世を去ってからの逆転劇もあります。 中でも最大の逆転劇であり、人類の歴

ハッピー・イースター!

今日はイースター(復活祭)ですね。 今から2千年ほど前、イエスはゴルゴタと呼ばれる場所で、二人の強盗とともに十字架につけられ、苦しみながら息を引き取られました。 人類のために来られた救い主をそのように殺してしまうなんて、それは地上でもっとも悲しい日と言えます。 でも、それで終りではなく、イエスは三日目に復活されました。 その早朝、女性信者たちが遺体に香料を塗ろうとして、イエスの納められた墓へ行きました。 すると、横穴式の墓の入口にある大きな石が転がしてあり、イエスの

イザヤが預言したキリストの受難(2)

先回に続いて、イザヤによるキリストの受難の預言とその成就を見ていきたいと思います。 口語訳からの引用がメインですが、よりわかりやすい訳がある場合はそちらを用いています。 (罪は、「咎(とが)」「背き」「不義」といった言葉でも表現されています。) 「病」と「悲しみ」は、それぞれ「わずらい、悲しみ」「痛み、苦しみ」とも訳されています。 イエスは私たちの悲しみや苦しみを担うために、また、私たちに代わって受難の苦しみを味わうために、私たちと同じ肉体を取って、この世に来られまし