【読書メモ】神道から観たヘブライ研究【随時更新中】
神道から観たヘブライ研究三部書―言霊学事始
https://amzn.asia/d/izixZ3e
第一部 日本という国
言葉はロゴスの活動状況であり、文字はその涅槃である。アダムは言語であり、エバはその涅槃である。文字は言語の死であり、逆に文字を蘇返(読返)らすと言語になる。(p49)
天照大御神のロゴスが八咫鏡という粘土盤文字(埴土文(はにふみ))に写されて神宮の奥深く祭られてあり、乃至古事記という書物の中に呪文体の文章の形式で秘められたことは、涅槃すなわち天の岩戸隠れの状態に入ったことである。だが、ロゴスが涅槃に入ることは却って衆生をして渇仰の心を生ぜしむる所以である。日本に於ける神武乃至崇神維新の企図する所と、壽量品に説く所と、エデン閉鎖の目的とする所とは全く同一のものであることを知らなければならない。(p49)
ロゴスはこの様にして世界から隠れて行った。この事はまだアダムが産んだ二人の子供のうち弟のアベルが殺されたことでもある。アベルが殺されてその血、すなわちロゴスの道が地に隠れてしまった。その代わりに神から罰せられた兄のカインが却って神の寵児として、アダムの原罪を継承して、楽園エデンの外に於いて苦役と渇仰の経営を続けて今日に至っている。(p49)
その間地上の文化は治乱興亡を繰返しながら発達と浄化を続け、民主主義的意義に於いて急速に盛り上がって来た。国家も思想も民族も、形而上も形而下も、あらずもがなのものは今日までに悉く清算されて来た結果、経済に於いては資本主義と共産主義、政治に於いては自由主義と統制主義、この二つにして二つのみなる対立として全世界が見事に洗い上げられた。これは驚くべき進歩である。カインの功績は褒むべきである。カインをして斯の如き業績を挙げしめたヱホバーロゴスの経営者の恩寵は限りなく讃うべきである。斯くして間もなく過去数千年に亘ったカインの労役の悉くが解除される時が来る、アダムの原罪が赦される時が来る。人類は今限りなき幸福の夜明けが到来する前夜に位置している。(p50)
元来ロゴスの数、すなわち人間の頭脳にひらめくイデア(真名(まな))の数は百である。これを五十と五十(四十九)に分ける。先の五十は実体(実在)であり、後の五十はその運用法である。日本ではこの五十を五十鈴(いすず)宮と言い、また石神(いそのかみ)(五十神)という。易経ではこれを 大衍の數五十、その用四十有九と説いている。先の五十神は伊勢五十鈴宮の奥深く保存されている。後の五十は五十連(イズラ)(イスラエル)である。仏教的に言うならば間もなく西方極楽浄土に於いて法蔵比丘の成道として完成されようとしている四十八願である。この二つが所謂「百敷の大宮」の内容として完全に組織される時が来ているのである。(p55)
預言者モーゼが説いたペンタ、トーチは単なる民族の歴史ではない、歴史の必然、人類の将来を指示した知恵の書である。アブラハムは嘗て世に有っただけの人ではない、今も世にあり、これからも世に在ろうとしている原理の名である。アブラハムが九十九歳になるためには五十と四十九とが合わさらなければならない。アブラハム九十九歳の誕生日を歓喜をもってー仏教者の所謂到彼岸の歓喜をもって祝い迎えることがこれからの人類の為事である。アブラムとアブラハムとは何処に如何なる相違があるか、宜しく沈思しなければならない。(p56)
極東のロゴスの国の葺不合朝の天皇と、西欧の民族の指導者の間に、その昔、東漸の文明と西漸の文明の遠い将来に関して如何なる契約が取り交わされ、如何なる経論の分担が行われたか、その内容が我等日本人に明らかであると同じくイスラエル民族にも必ず明かであることを信じている。まことにモーゼは日本の歴史に示される如く、モーゼ、ロミュラス王である。イスラエルの預言者であると共に、ローマ帝国の建設者、全欧羅巴文明の創始者でなければならない。モーゼと日本天皇との契約が実現する時は今日である。(p57)
キリスト教の奥義は言うまでもなく黙示録にある。黙示録はキリストが弟子ヨハネに説いた神即言葉の道の構造とその実現の過程を述べた預言者である。
キリストは再臨することを約束したが、黙示録はすなわち再臨の意義と順序に関する解説書である。キリストの再臨とはキリストの様な人物が再び世界に顕れて来る事のようにキリスト教徒は希望しているかも知れないが、それは見当が外れている。元来キリストは人の名であると共にまたそれ自体ロゴスの基本原理をなすものである。キリストは十字架に懸けられたが、その意義を略説しよう。(p58)