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言霊学から聖書を読み解く

なんぢら預言者ダニエルによりて言はれたる「荒らす悪むべき者」の聖なる処に立つを見ば(読む者さとれ)

マタイ伝福音書24:15


その時ユダヤに居(を)る者どもは山に遁(のが)れよ。

マタイ伝福音書24:16
言霊 島田正路

五十音左半分を「ユの田」(ユダ)と呼ぶ。
ア行に近い方が主体性・精神性を表し、ワ行に近い方が客体性・物質性を意味している。



屋の上に居(を)る者はそのの物を取り出(いだ)さんとて下るな。

マタイ伝福音書24:17
言霊開眼 小笠原孝次


(はた)にをり者は上衣(うはぎ)を取らんとて帰(かへ)るな。

マタイ伝福音書24:18
言霊 島田正路

その前後の物語がわからないのでなんとも言えないと思い調べました。


屋上にいる人は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはいけません』という言葉は、新約聖書のマタイによる福音書24章17節に記されています。
イエス・キリストが弟子たちに終末の兆候として何が起こるかを語っている一部で、イエスがエルサレムの破壊と最後の時の兆候について弟子たちに警告しているシーンの中で述べた内容です。


マタイ24章は、イエスがエルサレムの神殿の破壊を予言し(マタイ24:1-2)、その後、弟子たちが「これらのことがいつ起こるのか、そしてあなたの来臨と世の終わりのしるしは何か」と尋ねるところから始まります(マタイ24:3)。この質問に対して、イエスは多くの兆候を挙げながら回答します。これには偽の救い主の出現、戦争、飢饉、地震、迫害、信仰の冷え込み、福音の全世界への宣教が含まれます。

屋上にいる人は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはいけません』という節は、要するにイエスがそのような時代の緊急性を示すために使った言葉です。これは、迫り来る破壊や危機の時に、物質的なものにこだわるべきではなく、速やかに避難し、自分の命を守るべきだという警告だと解釈されています。

屋上は当時の家の一部であり、日常生活の場でもありました。この言葉によって、イエスは緊急の避難が必要な時には、何も持ち出さずに速やかに安全な場所へ向かうべきだと教えています。

↑この事が言霊の喩えですから、

家は五重の自分の精神上の事。外は物質現象、または客観世界。

家にある物質的なものを取り出して下(下界)に降りてはいけない。

このことからわかるのは、終末には、家の中にある自己経験値を取り出してそれを持ち出してはいけません。という事です。

屋上は、古事記で言えばアメノコヤネの事でア段です。アは宗教と信仰ですから、ようするに聖書を信仰しているア段の人々は終末には、最後の審判(照合会議)があるので、オ段に降りて自己経験値を取り出して執着して争ってはいけません。という事になります。

ちなみに、『畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません』というのも、ほとんど同じ意味で、畑は葉田気ですから現象子音を指します。上着は母音の事。この場合は畑の作業はウの産業の事を指していて、文化を生んだのに、また母音に戻ってウを駆動させてもっと優れたものを作るという上着を着て物質科学を進めてはいけませんという意味です。
まぁ要約すると欲望に欲望を重ねていては鎮まらないので足るを知りなさいとう事ですね✨

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