地域差別と、多様性と、STEM

これの続編の様なもの。

【要約】
「ぶっちゃけた話、現代日本風フェミニズムってお気持ちというより『俗流倭式ネオリベに染まりきった都市部の一定階級以上のお嬢様の我が儘』を学術的にコーティングしただけで、あの人らと内輪のインナーサークルしか得をしないようになってるよね」というお話。そのついでに、「あのお嬢様方からすれば、中流以下の女性って『自分たちの正しさ』を証明する為の補強材、反対勢力をぶん殴る為の棍棒でしかないよね」という身も蓋もない話です。

で、新たな傍証がどんどん出てくる。

また身も蓋もない話だが、出生率が高い地方の女性の方が社会持続性を身をもって実行しているという点は注目すべきだろう。

翻って、都市部で生まれ、自由を謳歌し、そのデメリットを他人に押し付ける事に全く躊躇のない目覚めた方々はルンペルブルジョアジー系職業に就いて自分のちょっとした不便に対し、主語を極限まで大きくし、針小棒大にして語る。

そうさ、社会はトライ・アンド・エラーであり、失敗は成功の母。
だけど、そのトライや失敗はお任せであり「お前の責任」にされ、成功報酬と名誉ばかりかっさらっていこうとする君たちの小狡い考えに、全うな人間は怒っているんですよ。J.J.ローリングの様に「生活保護から成り上がった女性」ほど、上流階級に溶け込む為に必死にお目覚めアピールをしちゃう。裏切りと言う事なかれ、かの古代ローマ帝国に燦然と輝く大知識人のキケロさえもその呪縛からは開放されなかったのだ。
お前は目覚めていない、騙されているだけだって?言ってること、陰謀論者そのものだよ。


大事なので繰り返します

「大事なことなので繰り返します」というネットスラングっぽい言い回しがあるけど、これはガチで大事なので繰り返します。

世間一般的言われる『多様性』に出身地域・社会階層・学歴は含まれません。

もう一度繰り返します。

『多様性』に出身地域・社会階層・学歴は含まれません。

その事をまざまざと証明する発火現象がほぼ同時期に日米で起こったのは偶然とは思えない。

こちらはアメリカ版発火現象。
『多様性』を標榜するアメリカンリベサヨ&フェミニストが「これだから田舎者はけしからん!」とブチギレ。その姿を見ると、普段言ってる多様性とは何なんだ?と思うのは人情だろうが、どうやら彼らと我々では多様性の概念は全くの別物らしい。

日本の発火現象はもっとややこしい。

発火点、またあなたか。
(そもそも燃えるのを期待してるだろ、というツッコミもあるが)

…とはいえ、圧倒的にこちらの方が分がある。
いや、「女性差別反対!」と言いながら九州地方の女性を差別するフェミニストの論理のガバガバさに対する嫌悪感が圧倒的に上回ってしまう。
少なくとも本文読んでください、実態を把握してください。


修羅の国九州は男にも峻厳

特定指定暴力団の数や、チャカ持って登校する中学生、ごく普通の草むらにパイナップル(意味深)が転がっている、地方自治体首長が銃撃される、何なら病院までカチコミに来る(結果関係ない一般市民が誤射で犠牲になる)、普通に親戚にソッチの筋の御方がいる、何なら大臣経験者の故大物政治家と特定危険指定暴力団のトップが義兄弟、などなどの事件事象からすっかり悪しきインターネットミームとして定着しまった『修羅の国』とかいうネタなんですが、実際に家父長及びその予備軍に対してはガチで「修羅の国じみた教育」が行われていたりします。

まず、家父長及びその予備の事も考え、「文武両道」をほぼ強制されます。建前上、中高は「部活に入るのも入らないのも自由」とされているが、そんなモノはほぼ(すっとぼけ)で済まされます。最近では「そんなモノ非効率的では?」という声が大きくなって廃止に向かう地域もあるようですが、自分らの頃は朝課外(所謂ゼロ時限授業)もほぼ強制でした。

もしも自分の生まれが開業医の長男とかだと、エクストラハードモード確定です。遊びたい盛りの頃から進学塾にぶち込まれます、目指すは久留米附設かラ・サール(百歩譲って青雲くらい)か。一緒に遊んでいた近所の友達が塾通いの為に母親に引きずられながらドナドナされていくのを見て、何度「うわぁ…」とドン引きした事か。

よくよく考えたら、九州の教育って大体が薩摩の郷中教育がベーシックな所があるんですよね。共同体の為、ひいては御国の為。それは間違いなく、フリーライディングインターネットバンディッツことツイッターフェミニストほど極端ではないにしても、現代の都市部のリベラルな考え方とは完全に正反対です。家父長及びその予備の男子は文武両道でなければならない。弱い男はチェストされる…とまでは行きませんが、矯正される。
生まれも育ちも都市部のチー牛が「九州の女子は尽くしてくれる」などという嘘八百を信じ込んで移住してきたが、「弱いオスはオスではない」なノリの苛烈さに音を上げて離婚して実家に引き上げた、なんて話もあります。そしてチー牛は立派なチ○ポ騎士として日々九州叩きに熱心…という救えないオチ。

全ては生き残る為です。そういう所含めて『修羅の国』と呼ばれるんだろうなぁ、と思いますが。


女にも学は必要(但し人文系と社会学は除く)

九州差別の文脈の一つにある、「九州では、女に学は必要ないという考え方が主流である」というのも真っ赤な大嘘です。むしろ、高校から更に上の学校に進学して、自活する事が求められます。

「大学進学率が低いじゃないか!」とお怒りの方々もいるでしょうが、九州の場合は大学に行くより医療看護福祉介護保育分野の専門学校・短大に進学するケースが他地域より多いです。うちの叔母や従姉妹もかなりの数が大学の看護学部に進学していますし(中には大病院の看護部長を務めている傑物もいる)

それに、大学でも医歯薬理工系に進学すると、むしろ喜ばれます。「そうか、あんたのお孫さんは医学部か。なら、看取ってもらおうかのう」なんてブラックジョークが九州の農村で飛ばされます。

身も蓋もない事を言ってしまうと、九州地方というのは本州に比べて所得が低いです。結果的にSTEM系に進学する女性も増える。

地域差別主義者の言う「大学」とは、人文系・社会学部・経済学部の事なんだろうなぁ、という意識が見え隠れしてしまいますね。


関門海峡の向こう側は異国という意識の見え隠れ

言うのは憚られるかもしれないし悪いけど、女性差別を口実に九州差別してくるフェミニストって圧倒的に解像度が低いんですよ。

「盆正月の親戚の集まりの時、九州の男は台所に立って手伝わない!」とイキるけど、実際は台所に立たせてもらえないのであり、手伝おうとしたら「ここは男の来るとこじゃなか!」と追い出されるんですよ。

九州の女性にとって台所は互いの旦那の文句や愚痴を遠慮なく言い合える場所であり、女性特有のデリケートな話題も口にできる、情報交換の場所でもある(男の秘密などもここでバラされる)。いわば男子禁制の聖域に近い。もしくは、ゾーニングされたフリースペースでもある。

そんな聖域に、土足で上がり込むような男は不粋です。家父長から「そのくらい弁えんか!」と怒鳴られます。「私達は弁えない」がスローガンのあなた達に言ってもピンと来ないでしょう。

ましてや、その聖域を「時代遅れだ!」「洗脳されている」「九州男の抑圧の証拠」「価値観がアップデートされていない!」という名目でぶち壊し、悦に入りたがるトンキン(not東京都民)のフェミニストって、伝統を尽く否定する共産主義者みたいですね、と表現したいくらいです。

『TradGirl』『九州の女』といった伝統的価値観に従って幸福そうに暮らしている女性の姿というのは、「幸福になると信じて東京に出てきたのに、全く幸福を掴み取れず消耗していくだけの我が身」と比べると何と羨ましい事なのかと、不都合な現実を突き付けられている感覚なのでしょう。

自分から見ると、あの方々の口汚い罵倒の数々は、批判というよりも東京という魅惑の魔都に何もかも吸い尽くされていく断末魔、悲鳴、怨嗟の様に聞こえます。

それを抜きにしても、物理的距離以上の心理的距離というモノを感じてしまう物言いの数々に鼻白むを通り越し、まだまだ関門海峡の向こう側は異国と考える東人の多さ、人間の意識は百年程度じゃ変わらないと思わされた一件です。

確かに九州地方は良い所もあれば悪い所もあります。でも、他人の幸福に横槍入れて悦に入る人間にはなりたくないものです。



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