若い男の価値は基本的に安い…けれど

「男なら死ねい」は過去の因習化



餓鬼と修羅と畜生の棲まうクニモドキのニッポン

今日もまた、インターネットスラム街では「手取り14万円の24歳男性の嘆き」に向かって自己責任論を堂々と叩きつける鬼畜が多数いる一方で、「ホスト狂いの25歳風俗嬢(月収100万オーバー)」に同情してくれと言わんばかりの記事が堂々と掲載されて、ある程度の共感を得ていた。

ホスト遊びが悪いとはいわないが、何故他責性全開でもある程度許されてしまうのか。

それ以上に、若い男の価値は低いのか?


「若い男の価値は安い」のが日本の伝統

歴史的に、若い男の価値は安かった。
江戸時代の百万都市・江戸は労働力を必要とした結果として大量の若い男が農村部から流入していた、人口分布が非常に男性偏重都市だったというのは有名な話だ。
(最もそのお陰で寿司・蕎麦・天麩羅等の屋台グルメ、浮世絵や歌舞伎といった文化、更には吉原遊郭の色街文化といったモノの商業的成功の背景となった訳だが)

武家は武家で、家督を継ぐ長男以外は出来が良ければ他家に養子に行けるが、それ以外は部屋住みとして厄介者扱いだった。その中で教養のある人間が文化の担い手となり、武芸に達者な者は街の剣術道場の師範になれたそうだが、どちらも少数派であっただろう。

明治期以降は、若い男は徴兵の対象となった。
だが、果たしてそれが不幸だったのか?と考えると、どうしても老いた大伯父の言葉を思い出す。

「徴兵検査で「甲種合格」となれば「立派な皇國の臣民の一員」というお墨付きを国から与えられたようなものであり鼻が高かった、乙種の者たちより偉い気がしていた。
軍隊というのは今の価値観では悪の象徴と見られているのはわかっとる。まして甲種合格ともなれば真っ先に戦争に行かねばならぬ、何故そのような苦行を…と思うだろう。特に戦場のセの字も知らん団塊の若造辺りはな。
だが、わしら田舎の農村の長男以外の男子からすれば、そのまま故郷にいたって無駄飯食らいの厄介者扱いが関の山じゃ。それが徴兵検査で甲種合格、軍隊に入れば一転して一族の誉よ。御國の為になると言われる、三食飯が食える。戦死しても恩給が出て両親や兄弟姉妹に最後の孝行ができる。そう思って、我が家の荘兄(次男)も宗兄(三男)も笑って特攻隊に行ったんじゃ。
…まぁ、今の幼いお前に理解しろというのは無理じゃろうな。だが、もうすぐお迎えが来るわしの言葉も生きた証として覚えておいてくれ。」と。

やはり、若い男の価値は低かった。

そして皆様ご存知の平成はこうだった。

自分は思春期の多感な時期、以下の風潮をずっと見ていた。

あの頃、労働力使い捨て前提で彼らを「産業版特攻隊」じみた使い方を当時の政財官学報の連中は礼賛していた。「大西瀧治郎や冨永恭二にも劣る統治の外道、下劣な連中」と揶揄した人間は一人もいなかった。
しかも、名誉も遺族年金も保証された特攻隊と違い、彼らは文字通りの使い捨てとしてなんの補償も与えられず、逆に自己責任と称して罵声を浴びせられた(ここら辺のルサンチマンやら承認欲求の果てが「希望は戦争」だったと思うと腑に落ちる)。
今では「キモくて金のないオッサン」として、半ば日本の不可触賤民扱いである。
(そう考えると、「構造改革」「戦後レジームからの脱却」というのは、「若い男を再び安く使い潰す国へ」という意味だった)

将来の禍根になりかねないと危惧した人間も少数ながら存在していた。しかし、彼らの声は「我欲を剥き出しにした多数の民意」の前では余りにもか細かった。


若い男の価値が高かった時代

とはいえ、若い男の価値がずっと低かった訳ではない。
戦後の復興から高度経済成長期まで、若い男の価値は労働力としてずっと上がり続けた。東京では近郊だけでは追いつかず、東北から「金の卵」と称して大量の若年労働力が流入した。
これは日本の歴史上始めての快挙といっても過言ではない。
その流れを潰したのが、若い男の価値がの高さの旨味を存分に味わってきた世代なので、尚更彼らへの憎悪が強いのは最早因業だが…

製造業や建設業の様な労働集約型産業は今だにそのノリが抜けきれていない。ましてや、これらの産業は平成年間ずっと軽視・蔑視され続けてきた。
存続するのが精一杯であり、待遇の改善など何も考えられなかった令和五年になっても、我々は「答え合わせ」という名前の平成の軽薄短小万歳の後始末をし続けている。

だが、その後始末が終わった後、逆に今の若い男はボーナスタイムが待っている。


これからは第二次「若い男の価値が上がる」時代

労働集約型産業の合理化が進行し、旧世代の老害的価値観が一掃された後の日本において、基本的に外国人に対して最初は経験を露にしがちの島国である以上、少子化によってどんどん希少化する日本人の若い男の価値は相対的に上がる。

これからの世代に言いたいのは「理不尽があったらさっさと逃げろ」「逃げるが勝ち」である。何故なら、少子化で稀少価値のある君達は余程の事をやらかさない限り、逃げてもリベンジの機会はいくらでも訪れるからだ。

若者よ。君達は既に、生きているだけで勝っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?