恋愛市場原理主義の反動

一昔前、子供を叱る台詞の一つに「親の顔が見てみたい」というものがあった。
要は「(悪さをしてきた子供に向かって)親はどういう育て方をしたんだ?」と叱る事で、子供に対して親への罪悪感を抱かせるようにもっていく叱り方だ。

だが、昨今では「本当に親の顔が見たい」と真顔で言いたくなる事案が増えたように思える。名古屋のホームレス高齢者をtiktokで晒し者にしていた生物しかり、ここで取り上げる事案然り


「3年目の浮気」から「100番目の妻」へ

「3年目の浮気」(1982年発表)という歌がある。

まだ生まれていないどころか影も形もない時代に発表されたこの曲を聞くと、まだ自分が右も左もわからない新入社員の頃、ベテラン統括所長がよくスナックでチーママとデュエットしていたのを思い出す。

そんなオッサンたちが現場をバリバリ回していた時代から40年も経過すると、意識も変わってくる。当然、両性共に。

一瞬、自分は「この人は何を言っておるのだろうか?」「今どきリアル石油王の妻志願か」と思った。よくまとめサイトやSNSで笑い者になる『婚活女さん(笑)』を絵に書いたような文書なので、釣り垢の可能性を疑ったレベルだ。

だが、釣り垢でもなく、書いた本人は全くの素面というのがわかってきて、逆に背筋が凍るほどの恐ろしさを感じた。

そして、「(こういうモンスターフィメールを生み出した)親の顔が見たい」と思ってしまった。

結婚生活というのは「全く別の人間同士が支え合い、時には叱咤激励しつつ、喜怒哀楽を共にし、人生を乗り越えていくモノ」だと個人的には考えている。(結婚観の違いもあるだろうが)

だが、どうもこの方が求めているのは「欲しいモノを何でも与えてくれ、自分の苦労を全て背負い込み、パートナーの苦労は絶対に分かち合いたくない」という、自分の身勝手を全て許してくれる人間らしい。

婚活用語だとそれを「包容力のある人」というそうだが、それって夫というよりパパなんじゃないか?とツッコミたくなる。

かつて、結婚制度について「アタシはお前のママじゃねーんだよ!」と生活自立性のない男にタンカを切って批判したフェミニストがいたが、夫よりパパの需要が高い現代の婚活の有様と「俺はお前らガ○○スのパパじゃない」という男側の反論にどう応えるのだろうか。

最も、「都合の悪いエピデンスは隠す、それが悪い事だとは思わない」と堂々と言い切れるあの界隈なら黙殺するだろうが…


優良物件ほど早目に予約を

そもそも全く男側の趣味嗜好事情その他諸々を全く考慮していないなどといったツッコミは数あれど、ぶっちゃけた話として、婚活に熱心な女性の理想の男性というのは婚活パーティーに参加しない。

何故なら、婚活に熱心な女性にとっての理想の男性は大体が学生時代か社会人初年度辺りで予約済みだからだ(身近の実例多数)。

その上、婚活に熱心な女性の理想の男性が最も多いであろう資産と名声を兼備したある程度の名家ともなれば、「一族の名誉や資産の保持」名目で身辺調査を入念にされる。昔の因習と笑う事なかれ、名家側からすれば存亡のかかった一大事なのだ。

【備考】
極端な例は今上天皇陛下で、皇后陛下との御成婚の歳には一悶着あったというのは有名な話だ。皇后陛下の母方の祖父が水俣病を起こしたチッソの社長で、カミソリの異名を取った後藤田正晴が「皇居に筵旗(水俣病の怨恨の象徴)が立ちかねない」と強硬に反対した逸話がある。一説には宮内庁長官どころか、時の昭和大帝も反対した…というのもあるが、真相は不明である。


行き過ぎた恋愛市場原理主義

つまり、下のような婚活パーティーに出てくる「ハイステータスな男性」は大体訳ありである。

「男性を完全にモノとしてしか見ていない」
「なろう系で出てくる奴隷市場より酷い」
「令和の4T(➀低姿勢・➁低依存・③低燃費・④低リスク)は草」
「男性の性的モノ化、なおフェミニストは黙り」
「こんな地雷原に国公立大卒が突っ込む訳ねーよ」

…などといった総ツッコミ状態なのだが、もっと根源的な話として。

この婚活パーティーに参加する女性はさぞ、自己評価が滅茶苦茶高いのだろう。何故なら、自分を「ハイステータスな男性と釣り合いの取れる女性」だと思っているのだから。

お勉強すべきなのは、恋愛市場原理主義における自分の市場価値と、「需要と供給」という簡単な経済学ではないだろうか…と思うのは老婆心だろうか。





【余談】

どうやら、件の「ハイステータス男性婚活パーティー」に参加した勇者が戦記をnoteで書いたらしいので、是非読んでください。
(可能であれば投げ銭も)


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