必死なアカデミック界隈と前田敦子

切っ掛けは一枚の葉書。

とっくに家を出ている実兄に学位授与機構からの葉書が来た。

正式名称は「独立行政法人 大学改革支援・学位授与機構」らしいが知ったこっちゃない。

とりあえず進展なんで実兄に連絡したら「適当に処理しておいてー」との事なので適当に処理した。
(何かのアンケートらしいが、回答の義務はなかったらしいので無視した)

最近、この手のアカデミックの上層部は色々と必死である。

「財務官僚には文化財の持つ普遍的価値と後世に継ぐ重要性を認識していない」というが、財務官僚という人種は財務省設置法を口実に「己の出世の為なら後世がどうなろうと知ったこっちゃない」という究極の刹那主義を内面化しているので、東京国博館長の言い分を聞くインセンティブは全くないし、理解するつもりもない。

やっぱり財務省は廃止すべきである(ガンギマリ)

…それはともかく、似た事例は四年前にも高知であった。

この時、「本を燃やす人間は、人間そのものも燃やす」とドヤ顔で語っていた方々は、同時に他人の気に食わない表現に火を付けてまわっていた。

そして海外でも共通する模様。

「建造物には同情する癖に、俺達貧しい人間には1ユーロすら出そうとしない。それが富裕層だ」とあるフランス人がガチギレしていたのが印象的だ。

そして、エコテロリストも口実にしだす始末。


エリートリベラルの嫌われ芸

図書館・博物館・美術館・歴史的建造物というのは往々にして、文化資本がある程度蓄積されていないと楽しめないように出来ている。

そして、文化資本を蓄積されたリベラルなインテリというのは往々にして己の選民意識の発露の一形態としてこれらの存在を公金で保護するべきと主張し、大衆及び大衆文化を見下し、ケチをつけ、公金で保護すべきではないと主張したがるものだ。

近年の事例では、京都国立マンガミュージアムに「国営マンガ喫茶」などと罵倒を浴びせた例が有名だろう。

この事例にもあるように、リベラルで陰湿なインテリというのは文化に対しても優劣や序列をつけ、自分たちの愛好する文化は高尚であり公金をもって守られるべきと主張する一方では、劣位にあるとみなした文化に対しては酷薄どころか積極的に火付けを企てる。

その行為が結局の所、回り回って自分たちを苦しめているのだ。

それが理解できずに、苦し紛れに「モーゲンソーを原典で読んでみろ」と言い出すモノまで出てくる始末。
モーゲンソーの思想とは正反対な事を主張する『論語読みの論語知らず』と嘲笑されているのにも関わらずだ。


「私は嫌いでも、私の所属クラスタは嫌いにならないで下さい!」と言い切れる覚悟の有無

ここまで来ると、ある名言が浮かんでくる。

前田敦子「私のことは嫌いでも、AKBは嫌いにならないでください!」

商業的には大成功を収めたものの、その商業的手法から一部アンチからは「日本のミュージックシーンを焼け野原にした」との酷評があるが、自分としては日本人の性質?の本質をついた上の名言で帳消しにしたくなるくらいだ。

文化的優位性を疑わないエリートリベラルから見れば大衆文化の収蔵という側面もある国営マンガミュージアムは税金の無駄遣いであり無用の長物

一般大衆からすれば口先だけのエリートリベラルが擁護する図書館・博物館・美術館・歴史的建造物は存在自体がマウンティングの道具、大衆を貧しくする為の棍棒

そこには、「私は嫌いでも、私が愛好する文化は嫌いにならないで下さい!」という覚悟はない。

我々の大半は、前田敦子の寛容性に及ばない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?