「ワカモノガー」って言ってる場合じゃないでしょ

何も学習しない人々

クソデカため息が出るほど情けない。

自分がため息を出しているのは、Z世代に対してではない。
当該行為を「こういう事はしちゃいけません」と咎める教育をしてこなかった大人達に対してであり、子供に「誇れる格好いい大人の背中」を見せようとしてこなかった中高年に対するやるせなさだ。

「子供は親の鏡」という諺があるが、これは何も子供に対する縛りというだけではない。親に対する戒めでもある。

自分がまだ若造の頃は少数ながらも、「背中で語る格好いい大人」はいた。だが、そんな大人もやがて職場から去り、この世から去り、でかい顔をして残っている「反面教師としての老人」ばかりの声が大きい。

己の出自に対する無自覚さ、自省する事もなく、己の権力性に無自覚な癖に、インテリ面して市民を領導せんと日々見当違いの響かない言葉ばかり発信している哀れなる老知識人。他人に自由競争を強いながらも自分は安全地帯で高みの見物を決め込み、その安地で「自由競争はケシカラン!」と一言居士を気取る。心地よいエコーチェンバーの中で、センセーセンセーと取り巻きに煽てられて、それを街場と勘違いすると、上記の様な人間の出来上がりだ。

自省もないのだから、自身の価値の暴落にも気付けないか。
最近では諦めの境地に達しつつある。


高齢者が知らない30代以下の原風景

内田樹氏の様な、一時期を築いたリベラルなインテリ富裕高齢者には全く理解不能だろうが、我々30代以下は経済下り坂の日本しか知らない。経済成長の方法も、その果実が如何に甘美で芳醇なのかも知らない。

テレビに映し出されるのは、「画一化されたリクルートスーツに身を包む就活生が過酷な選別を繰り返される様」「面接官という名前の人事部員による圧迫面接」「理不尽極まりない面接試験」「やりがいという名前で感覚を麻痺させる過酷な労働環境下での労道」「やむおえず非正規雇用の道を歩んだ人間に対する雇用身分差別及び非人道的扱い」「当時の経団連会長企業の期間工を雇い止めとなり住まいを追い出されホームレスとなった姿」「外国語習得という餌で中国のコールセンターに片道切符で送り込まれる(なお賃金は当時の現地水準)」「派遣切りにあい炊き出しに並ぶ姿」などといった、就職氷河期世代の惨めな姿ばかりであった。

その傍らで政治家は左右関係なく「カイカクしないと日本は生き残れない!」と絶叫していた。いや、政治家だけではない。メディアも、財界人も、学者も、官僚も、大部分が主張していた。

他人の悪意というものをある程度浴びた、世間の世知辛さにスレた今だからこそ理解できてしまう。

社会問題が繰り返し報道されるのは、決して「現世の不条理を暴き、政府を糾弾する」のが目的ではない。

「これから世間に出るお前らに言っておく。多数派の俺等に逆らったらこうなる。自己憐憫と学習性無力感に追い込んだ氷河期世代のガキどもの様に惨めな姿になりたくないだろう?」という、民意主義国家において民意を握り続けてきた団塊・全共闘世代からの強烈な脅迫なのだと。

「何故、若者はゼロリスク指向なのか?」という中高年からの問いには、鼻で笑いながらこう答えたい。

全て、あなた方の行動を観察して適応していった結果だと。


『Z世代』とは、Z軸の事だ。

そんな脅迫も馬耳東風、むしろ「ほーん、そこまで脅迫するんならさっさとFireさせていただきますわ」な風潮がZ世代を中心に強くなっている様に感じる。

個人的には、Z世代とは「可動軸がZ軸まである世代」だと思っている。

  • 人生においての動線がX軸しかなかったからそこさえライフハックしてしまえば人生の攻略法が簡単だったのがX世代

  • 人生の自由がY軸まで広がったY世代(X軸だけの世界線攻略法だけを徹底的に叩き込まれたのがロスジェネ)

  • 人生の自由がZ軸まで広がって立体的になったが、それ故に攻略法やロールモデルなき三次元世界に放り込まれたのがZ世代

こう考えると、Z世代だって捨てたもんじゃない。
むしろ、X世代がいくら有言無言の脅迫を行おうが、Z軸方向まで動いて逃げられるという意味でもある。

ブラック企業であろうと生活の為にしがみつかなければならなかったY世代と違い、Z世代は「サーセン、辞めまーす」で逃げられる、JTCを踏み台にする事も厭わない。ブラック国家に向かって「じゃあ恋愛辞めまーす、コスパもタイパも悪いんでwww」と開き直る事もできる。

かの如く選択肢が多い彼らを羨みたい。

但し、その選択肢の多さはほぼ「親ガチャ」に依存しているという一点を除けば、だが。


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