見出し画像

二つの祖国

この小説を読むことになったのは、全くの偶然だった。
最近は美容院に行く際、美容師さんが出してくれる雑誌に興味が持てなくて、自分で本を持っていくようにしている。
たまたまその日は読む本が手元になくて、夫に何かないかと聞いたところ、会社の方に貸して頂いたが、難しくてなかなか読み進められない小説があると言って、「二つの祖国」の上巻を出してくれた。

山崎豊子さんという作家の名前は、もちろん聞いたことがあったけど、今まで彼女の作品を読んだことはなかった。
「二つの祖国」の題材である、太平洋戦争中の日系アメリカ人の話も、歴史上の出来事として聞いたことはあった。
ドイツやイタリアも、当時のアメリカ及び連合国の敵国だったはずなのに、日系人だけが収容所に入れられたことは聞いていた。
でも、恥ずかしながら詳しいことは全く知らなかった。

「二つの祖国」は、日系2世としてアメリカに生まれ、アメリカ国籍を持ちながら、幼少期や青春期を日本で過ごした帰米2世、天羽賢治が主人公。
UCLAを卒業し、カリフォルニアの加州新報という日本語新聞社で記者として働いている。
賢治の両親は明治時代にアメリカへ渡った日系1世で、アメリカの市民権もなければ財産を所有する権利も持たない。
賢治の弟の一人、忠は同じく2世だが日本へ留学中。もう一人の弟、勇はアメリカの高校へ通っており、日本へ行ったことはない。
末妹の春子もアメリカの公立学校へ通っていて、勇同様日本へ行ったことはない。
賢治の妻エミー(恵美子)も同じく2世。この子の父親は日系コミュニティ”リトル・トーキョー”でホテルを経営しているお金持ち。
エミーも日本へ行ったことはなく、帰米2世の賢治とはどうも気が合わない。
他にメインの登場人物は、賢治の親友チャーリー田宮と、賢治の同僚でチャーリーの彼女の井本椰子。

日本をルーツに持ちながらも、アメリカで生まれ育った2世たちは、実はそれぞれ日本やアメリカに対して微妙に異なる思いを抱えている。
それでも、それが表立って争いになったりすることもなく、平和に暮らしていた。
あの日までは・・・
1941年12月8日、日本軍が真珠湾を攻撃したことから太平洋戦争が勃発。
この日から、2世達の、祖国とアイデンティティを巡る考え方や思いの違いが運命を分けていく。

賢治の2番目の弟である勇、妹の春子、妻のエミー、親友のチャーリーなどは早々に「自分たちはアメリカ人だ」と心を決めたように見える。
日本にいた忠は、日本軍に徴兵され、否が応でも日本人として生きることになる。
諸々の事情から、戦時交換船で日本へ帰ることになった椰子も、アメリカ国籍を剥奪された。
1世である賢治の両親は、「自分たちは日本人だ」という思いをより強くする。
そんな中で、賢治だけが最後まで自分のアイデンティティを決めきれない。
決めきれなくて、どちらにも正義を貫こうとして最後まで苦しみ、悲劇的な結末へと向かっていく。

私は、生まれも育ちも日本だし、留学経験があるとは言っても、自分が日本人だということに、疑問を持ったことなどない。
でも、日本人てなんだろう?
日本人の両親がいるから日本人?日本で生まれたから日本人?日本語を話すから日本人?
「二つの祖国」に翻弄された彼らは、日本人だったのか?それともアメリカ人だったのか?
私たちのアイデンティティを決めるものは何なのか・・・そんなことを思った。

物語の後半は極東軍事裁判、所謂東京裁判の話になる。
通訳の公平性と正確性を期すためという理由から、日本語も英語も堪能な賢治は”モニター”という役割を引き受ける。
現在でも議論の的になる東京裁判だが、当然私は生まれてもいなかったし、どんな裁判だったのか詳しくは知らなかった。
被告として起訴されたのは、戦前戦中に日本の舵取りを任されていた28人。
そのうち公判中に死亡した者、精神異常で免訴された被告がいて、最終的に判決を言い渡されたのが25人。
全員が有罪だった。
世紀の軍事裁判の様子が、徹底した取材に基づく圧倒的なリアリティで描かれている。
「西郷隆盛ここにあり。国際法は神聖なり。東京裁判も神聖なる裁きあるのみ」
賢治の思い、信じるところをよく反映したセリフだと思う。
二つの祖国それぞれに誠意を尽くしたい・・・そんな彼の思いは、結局裏切られてしまう。

彼を悲劇的な最期に導いたものは、絶望だったんだろうか。

最後の1行を読み終わった後、涙が溢れた。
別に悲しいからでも、賢治が可哀想だからでもない。
ただ、言葉にできない、胸が張り裂けそうな思いが、行き場をなくして涙になって溢れた。
感動する物語なら世界にごまんとあるけれど、ここまで心を突くような、絶対に忘れられない小説に出会ったことはない。
だって、「二つの祖国」は小説だけど、完全なるフィクションではないから。
主人公や、彼を取り巻く登場人物達は創作でも、起こった出来事は全て真実だ。
こういう歴史があったこと、時代に翻弄されながらも懸命に生きた人々がいたことを、私たちは知らなければならないと思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?