見出し画像

宇宙一好きなバンドのライブに行ってきた

BUMP OF CHICKENのライブに行ってきた。想像を遥かに超す最高の体験をしてきた。ものすごかった。人生の集大成だった。

私とBUMP OF CHICKEN

人生の約半分をBUMP OF CHICKENの曲とともに過ごしている。常にBUMPの曲はそばにいて、私に寄り添い、励ましてくれたし元気をくれた。一緒に落ち込んでもくれた。どんなときでもBUMP OF CHICKENは絶対に私の味方でいてくれた。共に歩んできたパートナーと言っても過言では無いと思う。

BUMP OF CHICKENの魅力は恐ろしい程に共感できてしまうところだと思う。藤くんの書く歌詞は漠然とした物悲しさややるせなさや複雑に絡み拗れた考え、蓄積された途方もない痛み等、自分でも上手く言語化できない感情にかたちを与えてくれる。そしてひたすらに共感して、寄り添ってくれる。
無責任に励ますことなんかしないで一緒になって膝を抱えてくれる人がいるってことが1番の救いだった。
そういう意味で、揺るがない安心感を彼らの音楽からずっと貰ってきていて、絶対的な信頼を彼らに抱いてきた。

ずっと彼らと一緒に歩んできたから、BUMPの曲には自分の人生の色んなものが詰まっている。曲を聴いてるとこれまでの思い出が走馬灯のように脳内に流れてきて無性に泣きたくなることも度々ある。数々の楽曲が私の思い出のアルバムのようになっている。
ライブの最中もこれまでのことが一気に頭の中に蘇ってきて悲喜交々あらゆる感情に押しつぶされそうになった。

セットリストが素晴らしかったという話

今回のセットリストがすごく良くて公演中鳥肌が立っていた。たぶんどんなセトリだろうと良いねって言うんだろうし、実際良くないセトリなんて絶対ないんですけど。それでも今回のセトリはとっても良かった!と声を大きくして言いたくなった。
それもライブで歌われた曲の言葉が現在の自分の境遇に恐ろしい程重なったからだ。BUMPの曲はいつでも共感できる。けれども、その重なり方が異常だった。信じられないくらいだった。運命だと思った。

1曲目はアカシアだった。

以前コロナ禍で世界がざわついてる中、配信でライブをやってくれた時もいちばん最初にこの曲をしていた。その時に『はやくBUMPのライブに行きたい!』って強く思ったんですけど、それを今こうやって現地で聞けていることに感動してもう泣いてしまった。4年ぶりに会えた。この4年で色んなものが大きく変わってしまったけれど、こうしてまた会えて良かったなあ、なんてぼたぼた涙が流れてきた。

最後のMCで藤くんが、『声出しOKになって自分が曲を作った時とか歌ってる時に想像していた客席からのコールっていうのを本当にそのまま今聞くことができて、それがもう本当に嬉しかった』って言っていた。
『コロナになって僕たちが会えなくなったときでも、君たちは曲を受け入れてくれていたんだなあって感じられて……』と感謝の言葉を述べていたけれど、こちらこそ世界が目まぐるしく変わって心細い中で変わらず音楽を届けてくれてありがとうって感謝の気持でいっぱいになった。

アカシアを一番最初に聞けて良かった。

その後天体観測が披露されたときにBUMPに会えた実感が一気に湧いてきてまた涙が吹き出してきました。
以前noteにも書いたのだけれど、やっぱりこの曲は歳月を重ねるごとに言葉の持つ意味が深くなっていくように感じられる。

その次になないろが歌われた。

この曲を聴くと『取り繕って生きていかなけれならない辛さ』というのを強く感じる。
つらいことがあってもつらいよって泣くことができない時がある。それは大人として泣いてなんかいられないっていうのもあったり、もう泣く勇気も元気もないって時もあったり、感情を表出することに対する諦めみたいなものが出てくる。それでも傷は残っていて、その傷のことを見て見ぬふりはやっぱりできなくて。その傷をただ抱えて頑張って前に進むことしかできない。そんなやるせなさだったり、精一杯なところに焦点を当てている歌詞が印象的だ。
なないろはすごく曲調は明るくて大空みたいな清々しさがある。けれども歌詞は大空を歌っているというよりも、大空とかそういう大きな光と輝きを前にしたときのちっぽけな自分だったり、そういう光り輝くものに対する後ろめたさだったりを歌っていて、そこに私は強い共感を覚えている。

背筋が凍る思いをした。

これまで実は透明飛行船って曲に対してあんまり思い入れとかがなかったのだけれど、ぐさぐさと胸をえぐられる思いをした。
2番以降の現実的でシビアな歌詞を藤くんが捲し立てるように歌う。

どうにかやってこられたけど
避け様のない石に躓いて
いつもみたいに起き上がれない
そんな日が遂に来た
ずっと平気なふりに頼って
嘘か本音か解らなくて
もっと上手に生きていましたか
飛行船が見えた頃の事

透明飛行船

ここの部分を泣いているような、怒ってるような声色で藤くんが歌っていたのを聞いて、足が竦む思いをした。
小さい頃はもっと無邪気に生きていけていたきがするのになんで今こんなことになってるんだろう?って生きづらい今の自分のことを考えて大きなため息をついた。

そしてクロノスタシス。

悲しすぎる曲だと思う。雨がしとしと降るような柔らかいメロディもかえって悲しい。歌詞を見ると知り合いの死から立ち直れず、未練や公開が渦巻いていて、傷を長いこと引きずってきたんだろうと感じられる。この曲の歌詞に対してそこまで共感を覚えることはないけれど、どんよりとした気持ちから立ち直れないもどかしさや悩みを抱え続けているところに痛いほど近いところを感じ取ってしまった。心がさらに萎んでいく気がした。 

Small Worldという曲

https://music.apple.com/jp/album/small-world/1590799862?i=1590799865

透明飛行船があって、クロノスタシスがあって、BUMPに会えた喜びというよりも私自身のこれまでのその人生だったりとか、私が日頃から感じているなんとも言えないもの悲しさだったり不安だったりとかを強く意識するようになっていて、こういう心境にいるところで歌われたSmall Worldでぼろぼろぼろぼろ涙を流した。過去1番に泣いた。

歌われる言葉がつぎつぎと今の私そのもののように感じられ、胸をグサグサと刺してきた。
冒頭にこんな歌詞がある。

いろいろと下手くそな僕は
この道しか歩いて来られなかった

Small World

私が自身の人生を振り返って口にする言葉も、そのまんまこれだ。
1番のサビでは疎外感を歌っている。

散らばった願いの欠片で照らされた夜も
どこかへ向かうパレードも 誰かの歌う声も
僕らには ひとつも関係ないもの

Small World

横目で楽しそうなみんなの姿を見たり、盛り上がっているところを見て良いなあって思いながらもそこには決して自分は入れなくて。その時に感じる切なさや悲しさ、そして嫉妬心。この痛みが嫌というほど分かる。

2番の歌詞は更に私の心を深く突き刺す。

すぐに言葉間違えそうで
傷つけたり怒らせたりしそうで
気を付けるようにしていたら
ただ喋れなくなっていた

Small World   

これまでの経験上、何かを言ってもどうってことにもならない。下手に何か言うと傷つけちゃうかもしれないし、馬鹿にされるかもしれない。自分の発言に何の効力もないっていうのが分かってるからこそ、自分を守るために口を閉じることしかできなくなってしまう。悩んだ末に行き着いた今のわたしの状況そのものだ。

この時点で視界が見えにくくなるほどに泣いていたが、続く2番のサビで崩れ落ちそうになった。

叶わないままの夢はどんな光よりも綺麗で
変われないのに変わりたいままだから苦しくて

Small World

悲しい共感が心を抉った。叶わないからこそ綺麗なのかな、とも思われてしまう。こんなちっぽけな自分が叶えられてしまうものって大したことないのかな、とすら思うこともある。自分じゃ叶えられないからこそそれは素晴らしいのかなって思う。
でもそう思う反面で、やっぱり叶えられないことが悔しくて仕方なくて。
望みを捨てたらきっと楽になれる。自分がどれほど頑張ってもできないってことはわかってるはずなのに、それでもどこか期待したり夢を見ている。

私は一年間ほど、このことでずっとずっと悩んでいた。
期待なんかしなければいいのに。でもまあ、やっぱり期待しちゃうから行動に移しちゃうし。でも行動に移したところで何もできないのに。そしてまた期待どうりにならなくて落ち込んで、自分が嫌になってっていうことの繰り返しだった。

この曲は、現在の私の悩みや苦しみの集大成のように聞こえた。
この歳に、この時期に。このタイミングで、この曲を聞いたからこんなに泣けたんだと思う。運命のような瞬間だった。

号泣するのに必死で気づいたらSmall Worldは終わっていて、魔法の料理が歌われていた。

クロノスタシスからバラード調の切ない曲が続いていて、息を吸っただけで涙がこぼれてしまうくらい、しんと張り詰めた空気が充満していた。
この曲では両親や祖父母などの家族の存在が歌われる。それを聞いていると、私も自身の家族の存在が思い起こされる。
Small Worldで現在の自分の傷に立ち向かい、魔法の料理で子供の頃を思い返し、そして産み育ててくれた家族のことを考える。"己の人生"というものがぐるぐる体内を回り、ぎゅっと切なくなるような気持ちになった。


プレゼントという曲

そしてこの後。大好きな大好きな曲を歌ってくれた。この曲を聞ける日が来るなんて思わなかった。

精神が限界まで落ち込んだ時に黙って聞く曲がBUMPのなかには数曲あるのだが、そのなかの1つがこのプレゼントだ。
ライブのこれまでの流れで、今の痛みだったりとか、これまで引きずってきたものに思いを馳せ涙を流していたが、このプレゼントが流れた瞬間にもう過去も今ももう全部ごちゃ混ぜになって一気に弾け飛んだ。

お訪ねします この辺りでついさっき
涙の落ちる音が 聞こえた気がして
駆けつけたんだけど 誰の涙かな

プレゼント

冒頭のこの歌詞が私にとってのBUMP OF CHICKENの存在そのものだし、なんだったらライブのその時の状況にもちょうどぴったりで大きく感動した。

プレゼントの歌詞は、孤独感と強い拒絶を描いている。

世界に誰もいない 気がした夜があって
自分がいない 気分に浸った朝があって
目は閉じてる方が楽 夢だけ見ればいい
口も閉じれば 呆れる嘘は聞かずに済む

プレゼント

心に傷がたくさんついてすり減った先に行きつくのは拒絶だ。
Small Worldの歌詞にもあったが、言葉を話し自分を開示することもやめてしまう。
共感の嵐だ。
しかし、藤くんはさらに奥まで心を見抜いてくる。

ところが孤独を望んだ筈の 両耳が待つのは
この世で一番柔らかい ノックの音

プレゼント

でもさ 壁だけでいいところに わざわざ扉作ったんだよ

プレゼント

表面上では孤独でも良いと諦めたふりをしながらも、それでも諦めきれず、誰かによる救いを望んでしまう弱さまでお見通しなのだ。声を大きくして助けて!と縋りつく勇気もなくて、ひっそりと心の中で助けを呼ぶことしかできない人の姿を藤くんは見つけてくれる。

嫌いだ 全部好きなのに

プレゼント

叫ぶように、この言葉は歌われる。
ほんとは好きなはずだったのに自分がうまく生きられないから目に入るものすべてが嫌に思えてきて、妬ましい。世界に対する絶望感と、この絶望を招いた自分自身に対する怒りとか、でもどうもできない無力感とか。こんなどろどろとした感情の渦がこの1フレーズに集約されているように感じる。

ラスサビには共感を示す言葉が並べられる。

誰だってそうさ 君一人じゃない
そりゃ僕だってねぇ そりゃ僕だってねぇ

プレゼント

変に励ますこともせず、一緒に悩んでくれるのがBUMPの寄り添い方だ。
私はここでいつも、同じように傷ついたことがあるであろう藤くんのことを考える。これほどまでに人の痛みがわかるということは、きっと藤くんもこの痛みを感じる当事者であったのだろう。
そんな藤くんがここで、僕も同じだからわかるよ、僕も味方だよって寄り添ってくれる。それがとても暖かい。BUMPはいつもそうやってそばにいてくれる。

プレゼントの歌詞も、"プレゼント"て題名も、私たちにとってのBUMP OF CHICKENの在り方を表しているし、きっと藤くんもそう伝わるようにこの歌詞とタイトルを作ったのだろうと思う。大好きな曲だ。本当に生で聞けて良かった。

この時点で十分おなかいっぱいというか感動で打ち震えていたのい、MCを挟んだのちに新世界が流れたときは卒倒しかけた。もしMCが挟まれてなかったら本当に倒れていたと思う。すごいセットリストだ。

新世界という曲

これも、本当に大好きな曲だ。家族、友人、その他ありとあらゆる愛しいものすべてにあてはめることのできるまっすぐで温かい、無限大の愛の曲。

プレゼントを聞きながらBUMPって本当に私の人生っていっても過言じゃないなぁ、て思っていて、彼らへの感謝と愛情が膨らんでいって。そんなところにこのまっすぐに愛を伝える曲が降ってきた。私の彼らに対する愛情がそのまま零れ出たようだった。

ここにある言葉をそのまんま彼らに対する思いとして述べていきたい。
他にも今私の生きがいとなっているものたちへの感謝もこみあげてきて、いろいろなものに対する愛情が一気に押し寄せてきた。また涙を流していた。
さっきまでは生きづらい世界だったりとか、胸にある傷の跡や痛みに対して流していた後ろ向きの涙が、新世界から明るい方向に塗り替わった気がする。
そこに、過去に苦しんだ涙もなんやかんやで幸せにつながっているんだっていうメッセージのようなものを感じた。

前曲までは「世界」というものに対して怯えだったり恐れを抱いているニュアンスのものが多かったのが、この曲以降は誰かを想ったり、感謝の気持ちを述べたり、「生きていくこと」に対して前向きな曲が続く。新世界を機に流れが変わる。
まるでBUMPに出会えたことで呼吸がしやすくなったリスナーの内面を表しているようで素敵だと思う。

それにしても、

例えば曲がり角
その先に君がいたら
そう思うだけでもう
プレゼント開ける前の気分

新世界

この曲順はやっぱり天才だと思う。


今回、Small Worldからこの新世界までの曲順が私の中で過去一番の流れだった。恐ろしいほどに泣いた。
それも今この時期に聞いたからこそ深く心に染みてきたのだと思う。

HAPPYという曲

まさか、まさかこの曲を聴けるとは。今度は叫びそうになった。もう奇跡の連続みたいだったセトリにさらなる奇跡が重なった。

私はこの曲を毎年誕生日を迎えるたびに、歳をとった瞬間に必ず聞いている。十数年間ずっとそうしてきた。
Happy Birthdayという歌詞が入っているというのももちろん、それ以外にも生きていくうえでの心構えや道しるべだったり、勇気がこの曲には詰まっている。応援歌のような曲だ。

先日誕生日を迎えたときも勿論この曲を聞いた。
そして、自身への誕生日プレゼントとして赴いた今回のライブでもこの曲を聴くことができた。
これまで一番生きることを支えてくれた人に直接、Happy Birthdayと言ってもらえたのだ。

どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう

HAPPY

この歌詞を聞いて、毎年この一年もまた彼らに支えてもらいながら頑張って生きていこうって決意をするのだけれど、このフレーズを生の声で聴くことができてとても嬉しかった。
これも今この瞬間に聞けたからこその感動を味わうことができて、今生きていて良かったなぁなんて柄にもないことを思った。

rayという曲

さすがに叫んだ。天体観測同様BUMP OF CHICKENのライブに来ている実感が大きく押し寄せてくるし、なによりめちゃくちゃ楽しい。
けれども、やっぱりこの曲の歌詞もよくみると薄暗い。傷だらけだ。傷だらけでも前に進んでいこうとする力強さ、その眩い姿に元気を貰える。

特に私は、rayの「傷」に対する歌詞が大好きだ。

大丈夫だ
あの痛みは 忘れたって消えやしない

ray

つらい気持ちはなるべく早く取り去ってしまった方が絶対に良い。でもだからってなかったことにはしたくない。過去に苦しんだことを「無駄なことだった」と蓋をしてしまいたくないという気持ちがある。もしそうまうと、捉えてしまうと過去の苦しんだ自分がかわいそうに思えてきてしまうからだ。
過去必死に生きていたその努力をちゃんと尊重してあげたい。ダメなことだったって言ってあげたくない。頑張ったねってほめてあげたい。
そういう意味で、痛みや傷をなかったことにはしたくないのである。どちらかというと、勲章として残しておいてあげたくなる。

その傷だらけでも前に進んでいこうとする姿が、これも今の私の心境にぴったりと重なった。
いろいろ考えた末に結局いつも「頑張って生きていこう」という気持ちにたどり着く。もう頑張るしかないんだろうなって開き直る。死ぬ勇気はないから、結局開き直って必死に生きていくことしかできない。不器用でもへたくそな生き方しかできなくても、こうやっていくしかない。
rayはこんな生き方を応援してくれているような曲だ。

晴天とは程遠い 終わらない暗闇にも
星を思い浮かべたなら すぐ銀河の中だ

ray

明るいメロディのわりに暗い歌詞。それでもところどころに明るいフレーズがちりばめられている。
人生というのもきっと、こういうものだと思う。

rayのどことなく漂うヤケクソ感が好きだ。虚勢を張っていたとしても僅かだったとしても、前に進む強さがある。こういう風に生きていきたいと思う。

〇×△どれかなんて 
皆と比べてどうかなんて
確かめる間もない程
生きるのは最高だ

ray

最後に頭を打たれたような衝撃が走った。そうだ、他人と比べるからいけないんだ。いろいろなものに対する苦しみの根源にあるものに光が当たった。
誰かと比べるから自分の至らなさが気になって、さらに敵意も劣等感も肥大化していく。そんなくだらないことをしないで、無我夢中になって生きていけば良い。私のなりたい姿がこの歌詞にあった。

ライブ中、藤くんが「今日くらい声出して言おうぜ」って言って、「生きるのは最高だ」の部分を観客に歌わせてくれた。最後の涙が出ました。
HAPPYで誕生を祝ってくれて、これからも一緒に進もうって歌ってくれて、そうして支えられてきた先で「生きるのは最高だ」なんて言わせてくれて。感謝の気持ちでいっぱいだった。

本編最後の曲。

BUMPの歌詞はよく「ちっぽけな自分」というのを書いている。

誰の存在だって世界では取るに足らないけど
誰かの世界は それがあって 造られる

supernova

そんなちっぽけな存在でもちゃんと世界の一員であるのだと、あなたはここにいてもいいんだと言ってくれている。ちゃんと見つけてくれる。

supernovaの歌詞には今この時間を共有できていることへの感謝の気持ちが溢れている。いつ死ぬか分からないし、いつ別れてしまうかも分からない。そ
んな中で今この時間を一緒に共有していることに対する奇跡だとか感謝を歌っている。

君の存在だって こうして伝え続けるけど
本当のありがとうは ありがとうじゃ足りないんだ

supernova

ここまで生き延びてくれて、今こうやって来てくれてありがとうっていう遠回しの藤くんなりの優しさっていうのを強く感じるのだ。

最後の曲はガラスのブルースだった。

ガラスのブルースの歌詞は藤くんのアーティストとしての生き方そのものだ。
16歳の時からずっとこの思いを引っ提げて音楽を作って歌詞を書いて歌い続けてるんだなって思うと本当にかっこいい人だなぁと尊敬の気持ちが溢れてきた。

藤原基央さんの紡ぐ言葉

最後に藤くんのいつものmcがあった。
私たちがこれまでどうやって生きて、明日からどうやって生きて行くかっていうのを知らない知ることもできないし、そばに居ることもできない。今もしかしたら幸せの絶頂の人もいれば、不幸のどん底にいる人もいるかもしれないと、いろんな気持ちの人がいるっていうのを藤くんはいつも、絶対に言ってくれる。
都合のいいことだけを並べたくないという藤くんなりの配慮を感じる。藤くんはいつも現実的なことをいうし、皆が安心してその言葉を受け止めることができるように根拠を示してくれる。

僕たちが傍にいられなくても、僕たちの曲は近くに居るよというのも繰り返し伝えてくれることだ。
この言葉もそれも決して綺麗ごとなんかじゃないと藤くんは言う。
みんなが今この場に来てくれたってことは君たちが僕たちの曲を見つけてくれたから。君たちが僕達の曲を聞いてくれる限り僕たちは君たちのずっとそばに居ることができる。僕たちの曲を見つけてくれてありがとう。そう言って深く頭を下げてくれる。

謙虚というか、どこまでもこういう腰が低いところもBUMPらしさだ。
きっと私達とBUMPは対等な関係でいる。対等だからずっと私たちの心にに寄り添った歌詞を書いてくれるのだろう。

藤くんのことはあんまり神様のように扱いたくないと思っている。神様だったら絶対こんな歌詞書けないだろうから。こんなに人の繊細な気持ちや痛み、悩みに寄り添ったものって、到底神様には書けない。
藤くんが私たちと同じような社会を生きて、似たような苦しみを味わって、もしかしたら私たち以上にたくさんたくさんもがいて苦しんだからこんな歌詞が書けるんだと思っている。
もちろんとてつもなくすごい人なのだけれど、あくまでも私たちと同じ世界に居る、一番信頼の置ける素晴らしい人って言う見方をしたい。


さいごに


過去一番、大きく心を揺さぶられたライブだった。

特にこの一年私はこれまでの自分の人生っていうものを考える機会が多く、同時にBUMP OF CHICKENへの気持ちというのも強まっていた。

そして、時の流れを想起させるような曲が多く歌われたり、今自身の私が強く共感できる歌詞を歌ってくれたりだとか、その上誕生日を祝ってくれたり、自身が今後なりたい姿の指標のようなものも示してくれた。

こういうことが重なって、今回のライブがものすごい私の心に大きく響いたのだ。

今回のこのライブのおかげで私のこの一年間溜めてきた悩みもしぼんできた気がする。歳を取ったことで気持ちを新たにしようとちょうど意気込んでたところだ。この背中を後押しするような力を貰った。
この一年も精一杯頑張って生きていこう。