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椰子の木の酒

大人になってすぐの頃、何を思い立ったのかインドの北西部にあるグジャラート州を出発して南へ少し下り、ムンバイからインド中央部そして北インドへ行ったり南インドへ行ったりと列車やバスに乗りながらあてもなくフラフラとしていた時期があった。行き当たりばったりだったので泊まる場所もその日に安いところを聞いたりして決めていたような気がする。気に入った場所があると何日間か滞在してその町の空気を楽しんだものである。南インドはゆったりとしていてついつい長く滞在してしまった。南インドにあるケララという州ではご飯が美味しかったこともあり数日間滞在した。調べてみるとバックウォーターというジャングルの中の川をゆったりと下る船旅があることを知り早速現地に行ってみた。

木や竹でできたような船に家を載せたような作りで、オフホワイトに塗られた壁と竹のようなものでできた屋根が川辺のヤシの木と相まってなんとも素敵な感じだった。乗れるかどうか、船員に聞いてみたら数日前に予約しないと乗れないと言われたので、隣に横付けされていた木でできたカヌーみたいなボートに乗せてもらいバックウォーターを楽しむことにした。肌がこんがりと良く焼けた白髪のおじさんがボートをゆっくりと走らせる。ところどころで色々な説明をしてくれるのだが、何を言っているかはわからない。時々混ざる英語に耳を傾けながら、心地よいケララの風と眩しい太陽を楽しんでいた。あまり喋ることもなくなったのか小麦色のおじさんは足元からペットボトルを取り出し、私に飲むかと聞いてきた。甘酒のようなマッコリのような色をした白い液体が入ったペットボトル。ココナッツワインだというので、予定もない私は飲んでみることにした。日に当たって生ぬるくなったココナッツワインは微かに発泡していてシュワっとした感じが美味しかった。ペットボトルの口を開けるとプシュッという音がしている。多分発酵しているのであろう。何口か飲んでボートの上で横になる。手漕ぎボートの規則的な揺れと燦燦と降り注ぐ太陽に左右に見えるヤシの木の緑色の葉。予定がなくて本当に良かった。

プシュッというペットボトルを開けた時の音がだんだんと大きくなってくる。時間が経って発酵が進んできたのかもしれない。良い感じで酔っ払った私をおじさんは家に連れて行ってくれた。そこで食べたフィッシュフライの美味しかったこと。

このココナッツワイン。南インドではトディ(TODDY)と呼ばれ約2000年前の1世紀ごろから作られ飲まれているらしい、ヤシの木の樹液を発酵させて作っているそうでできた日の昼ごろに飲むのが一番美味しいのだとか。ケララ州を車で走っているとところどころにTODDY SHOPと書かれた店を見かける。中では昼間っからおじさんたちがトディで一杯やっているのであろう。

2000年前にインドに来たギリシャのヒッパロスも800年前に来た冒険家マルコポーロも500年前に来た探検家ヴァスコ・ダ・ガマもトディを飲んで同じように青い空と真緑のヤシの葉を眺めていたのだろう。何千年も変わらないものと世界を変えてしまった男たちが交差した土地。トディを飲んでなにを思ったのだろうか。プシュッという音がだんだんと大きくなっていくような気がする。

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