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ババ・ブダン コーヒールンバ

日が少し登ってきて鋭い日差しが差し込む夜明けの夜行列車はインドの混沌とした中でも清清しく気持ちが良いものである。



寝惚け眼で列車の格子越しに外の景色を楽しんでいるとけたたましい声が聞こえてくる。その声は段々と近づいてきて私の耳元で叫ぶのである 「チャイ、チャイー!!」


「一杯おくれよ」


出来立てで熱々のチャイを入れたステンレスの筒状の容器の小さな蛇口からジョボジョボとチャイを入れてくれる。先ほどの叫び声とは打って変わって驚くほど小さな声でチャイの金額を伝えられるが、ほとんど聞こえないので適当に10ルピーくらい渡すと無言で釣り銭を渡され、また次の客を求めて「チャイ、チャイ〜!」と叫びながら去っていく。



熱々でとても甘いチャイで目を覚ます。早朝のインドにガタンゴトン、ガタンゴトンという音とチャイ屋の叫び声が響き渡る。


列車が南インドに入ると早朝の叫び声が「チャイ、チャイ〜!」から「チャイ、コーピー!」に変わってくる。南インドはチャイよりコーヒーなのである。



南インドで学生時代を過ごした日々もあまりチャイを飲まなかったような気がする。ひたすらに飲んでいたのは濃いコーヒーに大量の砂糖とミルクを混ぜたフィルターコーヒーというものだった。

インドにおいてのコーヒーの歴史は17世紀が始まりだと言われている。1670年、Baba Budan(ババ・ブダン)と言う僧侶がメッカからの帰り道、イエメンのモカでコーヒーの魅力に取り憑かれ、当時厳しく持ち出しが取り締まられていたコーヒーの種を7つ腹巻きに隠しインドに持ち帰り、カルナータカ州のチクマガルールという丘に植えてみたのがインドコーヒーの始まりだといわれている。

その後、オランダやイギリスの人々によりアラビカ種のコーヒーが広く栽培されるようになり一大産業に発展していった。



1947年インド独立後はインド政府によってコーヒーは他国へも輸出されるようになっていく。そして1991年、経済がより自由になったことによってコーヒーを栽培している人々などが自由にコーヒーの取引ができるようになり21世紀の始まりくらいにはインド発祥のお洒落なコーヒーチェインでコーヒーを片手に談笑するいけてる若者たちが増えていった。



今ではインドのコーヒーの品種は16種類ほどあると言われている。南インドのカルナータカ州、ケララ州、タミルナードゥ州を中心に広くさばいされていたコーヒーは現在は北東インド、アッサム、マニプール、メガラヤ、ミゾラム、ナガランドといった州でも栽培されるようになり、インドコーヒーカルチャーは広がりを見せている。



数年前、友人がチクマガルールでコーヒー農園を始めたと言うことで、訪ねに行ってみた。南インドのIT都市、バンガロールから車で走ること5時間、山道に入って数時間、最後は道にもなっていない道をジープに乗り換えてようやくたどり着いた。

標高は約2,000メートル、朝晩は涼しく、日差しは鋭い。ところどころに川が流れており友人はそれで電力も作っていると言っていた。肝心のコーヒーは周りの木々に覆われていて日が全く当たらないところで栽培されていた。これこそ、インドコーヒーならではの栽培方法だという。



友人が栽培したコーヒーをその友人と飲み、語らう。という最高の時間を数日過ごした。



コーヒーがあると人も集まる。人が集まるという理由で国や地域によってはコーヒーが禁止されていた歴史もあるという。



良い語らいに美味しいコーヒー。



北インドではふらりとチャイ。南インドではふらりとコーヒー。


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