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1日でインドにしてあげるよ

少し前に憧れのイタリア服のブランドが一年間インドをテーマに様々なデザインを展開していた。私とは全然関係がないのだが、少し誇らしく思った。様々なデザインがあったが中でもペイズリー柄は目を惹いた。

ペイズリー柄の歴史は古い。模様そのものの起源は「生命の樹」とも呼ばれている菩提樹やナツメヤシ、ザクロという説があり、およそ3,000年ほど前から使われているといわれている。インドではカシミール地方のショールに描かれたペイズリー柄が人気を博し、19世紀ごろにはたくさんのカシミア・ショールがヨーロッパに輸出された。カシミア・ショールは瞬く間に貴族たちの間で流行となり需要が追いつかなくなり、スコットランドのペイズリー市で同じような柄をあしらったショールを量産した。このことからペイズリーはペイズリーと呼ばれるようになったそうだ。20世紀にはアメリカで流行り、その波は日本にも来たといわれている。

同じような話がルイ14世の時代のフランスにもある。東インド会社によって輸入されたインド更紗の鮮やかな色彩とデザインに、庶民から貴族まで多くのフランス人がその魅力にとりつかれていったといわれている。あまりに人気になったのでフランスの生地が売れなくなり、輸入を禁止したそうである。その後、インド更紗のデザインや色調を取り入れ誕生したのがプロヴァンスデザインといわれ、今でも世界中で人気な生地である。

プリント発祥の地と呼ばれているインドから多くのデザインや色使いが世界を渡り、魅了していった。そして時に魅了しすぎ、禁止になったところもある。ファッションだけでなく料理の世界でもスパイスを通して同じように世界に伝わったのではないかと思っている。スコットランドにペイズリーが伝わったように西インドのキチュディという豆と米を煮込んだお粥みたいなものは、卵やタラが加わってスコットランドの朝食「kedgeree」として残っている。南仏のプロヴァンスデザインのようなインド由来のフランス料理もきっとあるのだと思う。

そんなものを探したり、調べたりしていると、知っている世界と知らない世界が繋がっていくように感じ、世界が少し身近に感じたりするものである。

その昔、日本の偉い人がインド政府にブッタガヤを日本にくれないかと、聞いてみたそうである。「もしブッタガヤを日本にくれたなら一年で日本みたいに発展した町にしてあげるよ」とその日本の人は言ったそうである。そう言われたインドの偉い人は「我々に日本をくれたなら1日でインドにしてあげるよ」といったそうである。

嘘かまことか、わからない話ではあるが、インドの料理やファッションの世界での影響の広がり方を目の当たりにするとあながち嘘でもないのかもしれない。

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