見出し画像

カスーリメティを振りかけるなんて……

一年とちょっと前から毎月オンラインで料理教室を行なっている。

画面越しに一緒に様々なカレーを作っていくのだが、煮込んでいる時間や手を動かさなくて良い時間はなるべくお話をし続けるようにしている。もちろん料理手法についてもお話するが、その料理の作られた背景、歴史、逸話などを話すことが多い。最近は「ポークヴィンダルゥ」と「ウップチキンカレー」というどちらも歴史と逸話があるレシピだったので延々とポルトガルがゴアにたどり着きポークヴィンダルゥがどのようにできていったか、ポークヴィンダルゥと南蛮漬けは兄弟なのかもしれない、だとか妄想と史実を重ねて話していく。ウップチキンカレーにおいては南インドのチェティナードの人々に思いを馳せながら「塩」の大事さについて語った。

「ウップチキン」も「ポークヴィンダルゥ」もそして「バターチキン」もインドを代表するメニューの一つであり、何十年前、何百年も前に人々を熱狂させ、興奮させてきた料理たちでもある。しかし画面越しでその料理の説明をしていてふと感じたことはそれぞれの料理の発祥と呼ばれている場所は静かなものなのである。ウップチキンを生み出した南インドのチェティナードは昔の栄華が伺える家々が廃墟と化し、市場や街中はゆっくりと風が通り、砂埃が舞っていた。ポークヴィンダルゥ発祥の地、西インドのゴアではヴィンダルゥ料理たちが申し訳なさそうにひっそりとメニューの片隅に書かれていた。バターチキンを作ったと言われているデリーのレストラン「モティ・マハル」はいつ行ってもゆったりと座れるのである。



そこに「熱狂」や「興奮」と言ったものは見ることができなかった。

オールドデリーのジャマーマスジットという大きなモスクの近くに「Aslam Chiken」という店がある。そこの名物は「バターチキン」である。しかし有名なバターチキンとは風貌が全然違う。ヨーグルトの上に炭火で焼いたチキンがドサっとのり、その上から液体のバターをかけ仕上げにチャートマサラを振りかけているのである。バターチキン愛好家からするとあんなのはバターチキンではないというかもしれない。しかしそこには紛れもなく「熱狂」と「興奮」があるような気がする。同じような体験がハイデラバードでもあった。「Ram Ki Bandi」という夜中から明け方まで道路沿いでオープンするお店の売りはドーサである。ピザとドーサを掛け合わせたような料理は新しく、オレンジ色の街灯が光る夜中のハイデラバードで若い人々が興奮しながら熱々のチーズがたれそうなドーサを頬張っていた。ドーサをチャツネとサンバルで食べてきた昔からのドーサラバーからすると、あんなのはドーサではないと怒るかもしれない。しかしここにも「興奮」と「熱狂」があるような気がした。



きっとポークヴィンダルゥが生まれた500年前もバターチキンが生まれた70年前も同じような、いやもっと激しい「興奮」と「熱狂」があったのではないだろうか。



数年前からカスーリメティをカレーの仕上げにトッピングするようなカレーをよく見かけるようになった。そのうちスパイスカレーと言われるようになり大阪や東京などで流行り始め「出汁」を使ったり、インド料理ではない新しいスパイスから作ったカレーが次々と生まれている。それは紛れもなく人々を「興奮」させ「熱狂」させているようだ。



「カスーリメティをトッピングに使うなんて。。。」



私は少し小馬鹿にするようにそう言ったのを覚えている。



「熱狂」と「興奮」のビッグウェーブには乗り遅れているような気がするが、その時々の新しい料理の「興奮」や「熱狂」と言ったものを感じたり、味わったり、そしていずれは作ってみたいものである。それはいつかバターチキンやポークヴィンダルゥのような不動のものになるかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?