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お父さん
大きな手だなぁ。
闘病で少しやせ細っているにも関わらず、病院で握ったあなたの手はとても力強く大きかった。
1,000gにも満たない生まれたての私を包み込んでくれたのもその大きな手だろう。
肩車をしてくれた時に落ちないように支えてくれたのもその大きな手であろう。
公園でなかなか他の子どもたちの輪に入れなかった時にそっと押してくれたのもその手であろう。
私の腕を強く握り、叱ってくれたのもその大きな手であろう。
暖かくて力強いその手があるだけでいつも守られているような気がしていた。
どこか知らないところに行くのも、新しい体験をするのも、きっとその手が後ろから支えてくれていたからこそ怖じけずに進んでいくことができたのであろう。
幼い頃に日本に来てから、また青年になってから日本に戻ってきて数々の困難があったであろうがきっとその大きな手で道を切り開いてきたのであろう。その経験がその大きな手に現れてきたのだろう。数々の挑戦が手の厚みに現れ、それが我々をいつも守ってくていていたのであろう。
時には引っ張って連れてきてくれて、時には後ろから押してくれて、時には包み込んでくれたその大きな手ともお別れをしなければならない。
その手がなくなってしまうと私はとても不安だ。
そんなに大きくない自分の手を見つめ、もう一つの手と合わせてみる。
そしてもう一つと。
大きな手はなくなってしまうかもしれないけど、その大きな手に救われた、助けられた、学んだ、叱られた手はたくさんある。
そのたくさんの手を重ねるように広げていき、大きな手が成し遂げてきたことや成し遂げたかったことを引き継いでいこうと思う。
私の背中を常に押してくれたように、今度は私が誰かの背中を押してあげられるような手になろうと思う。
大きな手ができたこともたくさんの手が携え合えればきっと大きな手ができたようにできると思う。
暖かく力強く、そして大きく。
その存在がとても偉大だ。
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