英語でおしゃべりの花を

旧八女郡役所内のアリが10匹さんで、「英語でおしゃべり、の会」2回目。ドミニック・ローホーのArt of Simplicityを一部読んでおしゃべりしました。

相変わらず、おしゃべりが苦手な私がいちおう先生役です。

もちろん正しい英語、伝わる英語で話せるようになりたい、と思うのは当然かもしれない。特にこういう場で「先生」役がいるときは。

でも、まずはそれを忘れてもらわないと、しゃべれるようにならない。たぶんこの矛盾が、英語の先生の苦しみの元かも。

言語は得意だけどコミュニケーションは苦手な私が先生役をするのがそもそも間違ってるとも思いますが、ふだん私ははっきりと言葉にして表現するのはあまり好きじゃない。でも「これはやっぱり伝えたい」ということはズバッと言うタイプ。「あなたのこと好きです」とか。

でも夫と猫と過ごすことが多くなって、ますます音(声)や身振りでしか気持ちを表現しなくなっている。その言葉にならない声は私も不思議なのだけど、その人や猫と自分との間の宙から出てくるようなもの。

夫じゃなくても「この人好き」と思っていると、そういうことが無意識にできてしまう。そして私の経験から言えば、これ以上のコミュニケーションはないんじゃないかなぁ。それはいわば、その人と私の共通言語。

「英語がちゃんと話せなくてかっこわるい」まずこの思い込みを捨ててみたらどうでしょうか? だって十分あなたはかっこいいです。ただ慣れていないから恐ろしく時間が掛かってしまうだけ。

英語が話せるようになるには、英語でおしゃべりするしかない。だけど先生役の私はおしゃべりが苦手なので、私が「あああ」とか言ってる間にぜひ主導権をうばって、英語でおしゃべりの花を咲かせるのを目標にしてほしいなぁ。


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