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唯識の大学者・チャンドラゴーミン(旋陀羅瞿民)の人物像

チャンドラゴーミン

 チャンドラゴーミン(旋陀羅瞿民)師については以前少しだけ言及した祖師の一人である。7世紀にナーランダー寺院で中観派の月称(チャンドラキールティ)大僧正と大論争を行い、それは実に7年間も続いたほどであるが、そのおかげで論争を見守っていた多くの民衆は大人から子供にいたるまで皆仏教の理解を深めたという。
 さてチャンドラゴーミン(旋陀羅瞿民)の信仰遍歴についてはチベット僧侶であるターラナータ上人が撰述した『ターラナータ印度仏教史』の「第24章」に詳しく述べられている。
 ここでは私が拝読した「第24章」に記載された内容をチャンドラゴーミン師の人物像、主に信仰遍歴として箇条書きにしてここに資料として記しておきたい。何かの参考になれば幸いである。

『ターラナータ印度仏教史』の「第24章」に記されたチャンドラゴーミン 

・優婆塞(在家の仏教徒)である
・大乗仏教僧である阿闍梨耶から三帰戒と五戒を受け、正式な在家仏教徒となる
・スティラマティ(安慧)和尚から経文とアビダルマの大略を一度聞いたのみで領解する
・アショカ和尚から受けた真言念仏によって、聖観音と救度仏母を見仏、いわゆる三昧発得
・見仏による三昧発得の頃、『パーニニの声明』『百五十讃』(馬鳴)『聖文殊名義如実称讃廣釈』の教えを受持
・ナーランダー寺院で中観派の月称(チャンドラキールティ)と七年間の大論争を行う。
→その時のチャンドラゴーミンの日常は聖観音堂に住しつつ、日々月称の多くの論難に回答し、夜は観音に願い、翌朝にチャンドラキールティに回答。チャンドラキールティは次第にチャンドラゴーミンとの問答に答えられなくなる。チャンドラキールティはチャンドラゴーミンを不審に思い、諍論を教える者がいると考え、 チャンドラゴーミンの後を追ってその観音堂に行き、門外より聞いていると、聖観音の石像はチャンドラゴーミンに説法し、阿闍梨耶が弟子に対して教師の如く唯識を教えていたという。
・救度仏母から、啓示を受けて、仏智を授けられ、『十地経』『月燈経』『華厳経』『入楞伽経』『般若経』を講義し、多くの著述をなす。
・晩年の所持品は袈裟一領と『聖八千般若経』のみ。
・普陀洛山にて入寂
(参考文献『ターラナータ印度仏教史』寺本婉雅〔訳〕国書刊行会 )
 
『ターラナータ印度仏教史』にはチャンドラゴーミン師の人物像が詳細に記載されているが、ひとまず師の主な信仰態度を箇条書きにしてここに記しておく。


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