衆生の本体
仏教では無我を説き常住不滅の魂は説かないのであるが、それでは一体何が輪廻して生まれかわるのか疑問がある。
それは身・口・意の業によって来生があるという。
阿含経
『阿含経』において以下のように説かれる、
衆生が為すところの三業によって、新たな五蘊(精神と身体)が形成されて後生があると仏は仰せである。
正法眼蔵
永平道元上人の『正法眼蔵』の「深信因果」や「三時業」には、仏から数えて十九祖にあたる鳩摩羅多尊者の問答引いている、
生まれかわりというと不滅の魂のような実体が別の存在に乗り移るような印象を持つが、仏教では業(行為)が衆生の正体であり、その業の如何によって六道及び四聖の生を受けるのである。三業が次の五蘊を形成するというのである。
容易には理解し難い内容ではあるが、そもそもとして凡夫である衆生が仏の説くところの教説を完全に理解することなどは不可能であるから、仏や菩薩・阿羅漢の教えを信じて行く、それが仏教という宗教であろう。
仏言わく、