『無題(no title)』なんて作品は存在しない。
私は自身がpixivのプレミアムユーザーということもあり、ほぼ毎日のようにイラストや小説を色々チェックするのだが、pixivのみならず創作物アップロードサイトを見ていて不思議で仕方ないことが長年ある。
『無題(no title)』とは一体何だろうか???
そこにはしっかりとイラストが描かれている。
なのに「無題」とはどういうことなのか。
例えばドラえもんが描かれていたとする。
なのに「無題」。
え?せめて「ドラえもん」じゃないの?
ドラえもんを描いたけど、そこには何の気持ちも込められてないってこと?
……じゃあなんでそれを描いたの?
「こういうドラえもんが描きたい」って思って描き始めたはずなんだから、だったらその「こういう」の部分がタイトルになるはずではないのか。
なぜそうならないのか。
分からん。
一つの可能性。
想像でしかないが。
もしかしてタイトルを付けるのが面倒臭いのか?
それともタイトルというものに重要性を見出していないか。
イラストがある。
見れば分かる。
そういうことなのか?
百歩譲って絵ならまだ分かる。
分かることにしておく。そうしないと話が進まない。
さらに分からないのが「詩」だ。
いわゆるポエム。
新聞や雑誌の読者投稿コーナーでしばしば見る「無題」の詩。
長々とそれだけ書き連ねておいての「無題」。
それのどこが?
最後まで読めば分かるとでも?
あとは読者のご想像にお任せする?
言語の壁を飛び越える絵ならまだしも、文字媒体の詩でそれはなかなか傲慢ではなかろうか。
少なくとも私はそんなものを読む気がしない。
魂のこもっていない作品にかかわっている暇などない。
もう一つ付け加えると、もっと分からないのは、そんなものをなぜ採用するのかだが。
審査員のプロ意識を疑う。
どんなに素晴らしい絵だろうと、どんなに素晴らしい詩だろうと、それが『無題(no title)』である以上私は評価を下げる。
さすがに「評価しない」とまでは言わないが。
本当は言ってしまいたいが。
「単なる好み」と言われればそれまでだ。
私はタイトルまで含めて一つの作品であると考えている。
タイトルとは店舗で言えば看板ではないのだろうか。
看板の掲げられていない店に入ろうと思う人がどれだけいるのだろう。
外観だけでどんな店なのか想像するしかない店に、怖いもの見たさで入る人はどれほどいるのか。
逆にそれほどまでの好奇心をかき立てる外観なら大したものだ。
だが設計にもそもそも思想はあったはずだ。
なければおかしい。
だからあえて言おう。
何度でも言おう。
『無題(no title)』なんて作品は存在しない。
作品として世に出た以上、いや、着手された段階でもうそれは『無題(no title)』ではないのだ。
みんなもっとタイトルを付けることを楽しもうよ。
面倒臭いかもしれないけども。
絵を描くのに使う脳とタイトルを考えるために使う脳は別だろうけれども。
それでも。
そこを含めて楽しみにしている人間がいるんだから。
もったいないなあ。
ああなんてもったいない。
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