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「人権」と「産廃」

「人権」「産廃」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
一般的には「人権」とは「人間の生存にとって欠くことのできない権利および自由」のことであり、「産廃」とは「産業廃棄物」の略語である。
およそ意味のかけ離れたこの2つの単語が並べて語られる世界がある。
それはソシャゲ、いわゆるソーシャルゲームにおいてだ。

ソシャゲにおいて「人権」は「持っていないと話にならない」レベルの強さや利便性を持ったキャラクターやアイテムのことを指し、「産廃」とは使い途がないレベルの性能のキャラクターやアイテムのことを指すのがゲーマーの間では一般的だ。
「産廃」は元々は直球で「ゴミ」などと攻略Wikiなどのコメント欄で書かれていたのだが、それがNGワードに指定されるようになって変化したという説もある。

では本当に「人権」は人権で、「産廃」は産廃なのかと問われると実際はそうでもなく、「人権」は手間や工夫は要るがなんとか代用が利く場合がほとんどで、「産廃」にだって利用価値はやりよう次第でいくらでもある。
要するにインターネットスラングならではの「嘘・大袈裟・紛らわしい」の結晶であり、響きがインパクト大だったもので普及したに過ぎない。
匿名文化だからこその無駄な攻撃性の発露だ。
毒されたネットユーザーはいつでもフラストレーションの捌け口を探して回っている。

彼らが「人権」と「産廃」を好んで使うのには大きな事情がある。

それはガチャを引かない理由にしたいからである。


例えばかの大手ソーシャルゲーム『Fate/Grand Order』には2023年11月2日現在で389ものキャラクターが存在するが、その中で「人権」と呼ばれるレベルの性能を持つのはアタッカー(攻撃役)、サポーター(補助役)合わせても10人にも満たない。
そして彼らにしてみれば、「人権」以外はすべからく「産廃」認定となる。

0か100か理論の極致である。


間が存在しないのだ。
以前そういう連中に「じゃあ『人権』と『産廃』以外はなんて呼ぶの?」と尋ねたことがあるが、返ってきた答えは「それ以外」だった。
ああ、インターネットスラングを使わずに自分の言葉で会話ができなくなった人間はこうなってしまうのか、となんとも哀れに思ったものだ。

で、ガチャを引かない理由にするとはどういうことかというと、「人権」以外を「産廃」とこき下ろすことにより、本音を言えば欲しいのに、無理矢理自分に嘘を吐いて抑え込み、「人権」にしかリソースを割かないようにする一種の自己防衛だ。
そりゃソシャゲのガチャなんて排出率は低いし、何枚も同じ物を引き当てて重ねて強くしようとすると莫大な金額かもしくは神がかった運が必要になるが、何かを下げて自己肯定感を上げようとするなどどうにも情けない。
ソシャゲに湯水のように納金『課金』という言葉は本来運営側が使用すべき意味を持つので誤用である)できる人間などごく限られているが、合理的ではない暴力的な感情論で「引かない理由」探しをしたくはないものだ。
そのような姿勢でのプレイスタイルでは、とてもそのゲームを愛しているとは言えはしない。

大手ソシャゲの攻略Wikiで新キャラ実装当日ともなれば、コメント欄は面白半分の「人権」喧伝派ととにかくこき下ろしたい「産廃」連呼勢力が骨肉の争いを繰り広げるのが常であり、「正確な情報が欲しければ丸一日は寝かせろ」は知る人ぞ知る標語である。
その有様はさながらインターネット人類悪の蠱毒の壺であり、実に見るに堪えない。
どの業界の商品においても言えることだが、どれほど様々なレビューを参考にしたところで最終決定を下すのは結局自分自身だ。
残念ながら本当に使い途のないキャラクターやアイテムが存在するのもまた事実なので、入念な下調べと冷静な判断はソシャゲにおいても必要不可欠。
自分で判断を下すには自分で考える必要がある。
自分で考えるには自分の中で自分の言葉で論理を組み立てる必要がある。
他人の意見を鵜呑みにし、脊髄反射的に攻撃的な借り物の言葉を垂れ流す害悪レビュアーにはなりたくないものだ。

えてして他人の意見で動く人間は他人と同じ行動を取る。
同じキャラクターを同じように育てて同じ使い方をする。
同じ考え方で同じ遊び方をするのでゲームの感想も同じ物にしかならない。
そんなのつまらないと思いませんか?
ソシャゲもSNSも「ソーシャル」。
社会の縮図と人間性が鮮明に反映される。
ゲームを遊ぶのではなく遊ばされていては話にならない。
自分で考え、自分で決断し、クリアしてこその喜びがある。
人を呪わば穴二つ。
どうか自分自身が「人権」を失った「産廃」にはなりませんよう。

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