RRR 考察 様々な「縛り」からの解放

最初にちょこっとだけ感想を述べておきます。
かっこいいカットがたくさんあったな~。ラーマとビームは良い知己だったな~。ジェニー周りの描写が雑すぎるし、家族殺されてるのにビームと仲良くはできなくないか~? ジェニーは白人の富裕層の家の娘だぞ? いくらビームを愛しているからって、そうはならんやろ~? マジで~? 本当に舞台装置としての役割しか与えられてないの可哀想~。
以上。
自分の中で知己概念の覇権が山河令とCQLであり、ブロマンスとしてはやはりBBCSHが強いな~という印象です。

以下より真面目な考察に入ります。見てから一晩しか経っていないのでまだまだ読み取れていない部分があると思いますがご容赦ください。

私がまず「なるほど」と思ったのは、パーティー会場でのナートゥ披露シーン。

あの場で男性たちは秘書君(名前忘れた)の味方をし、女性たちはラーマとビームの味方をする。
あれは「感情の解放」を描いているんですよね。
普段は男性たちから「慎み深くあれ」「上品な振る舞いをしろ」と抑圧されているであろう淑女たちが、自分たちの感情のままに大口を開けて笑い、全力ではしたないダンスをし、野蛮ともいえるようなレベルで地面を叩いて自分たちの同胞ではなく、ビームとラーマの応援をする。
あれは自分たちを抑圧しているものへの抵抗であり、彼女たちなりの戦い方なんだなあと読み取りました。

次に「なるほど」と思ったのが、鞭と鎖と契り紐と縄の使い方。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2023/5/5 追記分
ナートゥのシーンで肩ひもをパチン!と弾くシーン
パーティー会場ではありのままの自分たちの姿でいることは許されず、窮屈な洋装に縛られなければ人間として扱われない。
自分たちを縛り、型に嵌めようとする洋装を、ナートゥの衣装として逆に利用する。不屈の精神を象徴する意味深なシーン。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ビームがマッリを取り戻すべく、晩餐会に乗り込んだ際に彼は鎖を使って嫌味な衛兵(名前忘れた)をめった打ちにする。
あれはこれまで自分たちがされてきた暴虐の限りをやり返した形なんですよね。
その後にビーム自身も鎖に縛られ、棘鞭で叩かれる。
RRRには、己を縛るもの、という文脈で様々なアイテムが登場します。
最初はビームとラーマを結び付けた縄、次に自由を奪う鎖、苦痛を与える鞭、お守りである契り紐。
これらの使い方をあらわすものがそれぞれ違って面白い。
棘鞭はビームにひどい苦痛を与えたが、スコット総督の妻も最終的には有刺鉄線(だったかも?見間違いかも?)に全身を縛られて死ぬ。しっかり報いを受けたのはスカッとジャパン。
鎖や鞭はビームとラーマを苦しめるものでしかなかった。けれども縄や契り紐は彼らの心が固く結びついていることを象徴する。
己を縛るものすべてが「邪悪」ではなく、時には「友情」や「信念」をあらわしているのが面白い。

次に「なるほどね」と思ったのが馬とバイク。
最初にラーマが馬に乗り、ビームがバイクに乗ったところから「ん?」と思っていたのですが、終盤のラーマの姿を見て腑に落ちました。

最初はビームのほうが自分たちの神々に対して信仰心があり、忠義に厚い男であり、先祖代々受け継いできたものを大事にしている、というふうに思える。
けれども蓋を開けてみればビームよりもラーマのほうが自分たちの同族のために我が身を犠牲にしていたり、大義を掲げていたりする。
これが馬とバイクの違いに結びついていくんだな~と。
つまりビームよりも文化的な男として描写されていたラーマだったが、その本質は誰よりも原始的なものであり、ビームが大切にしている自然との調和ができており、神々の教えや先祖代々受け継いできたものを大切にしている。
これがラーマが馬に乗る理由であり、弓を使って戦う理由であり、最後に半裸で戦う理由なのだなあと考えました。
ビームはマッリのことしか頭になく、大局を見据えているわけでもなく、背負っているものもなかった。
そういう部分の違いを上手くあらわしているな~と唸ったシーンです。

まだ一回しか見ていないし一晩しか経っていないので読み取れていない部分もたくさんあると思うのですが、とりあえず自分の日記として残しておきます。


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?