GotG3 ありのままを受け入れる

GotG3のテーマは「相手の異なる部分をありのままに受け入れる」だったのは明白。どんなに見た目が醜くても、グロテスクでも、自分と違っていても、許容する。そんなメッセージ性が明確に描かれていた。

・ロケットが攻撃をするとき、彼のための道を作るのがグルートなのめちゃくちゃ泣けた。
・今のガモーラの家族はガーディアンズではなく、ラベジャーズなのをまざまざと見せつけられて泣いた。
・ライラがロケットを抱きしめながら「守る手もあれば導く手もある」って言ったところで泣いた。自分の両腕を失ってしまったライラが改造された機械の手でロケットを抱きしめながら、上記の台詞を言うの、本当に辛くて優しくて温かくて鼻水ずびずびになった。
・ロケット・ラクーンだのところ、かっっっっっっけええええええええ!!!!と叫び出したくなった。アライグマじゃないと否定し続けなければならなかったロケットの気持ち。アライグマでもなく、人間でもない。改造された醜い生き物だという現実から目を背けたかったロケットの気持ち。自分はアライグマだった。でももう本来の自分には戻れない。過去は変えられないを突きつけられたロケットの気持ち。ロケットの!!!気持ち……っ!!!!
・キレッキレのガモーラマジでヤバ過ぎて笑った。そりゃあサノスが溺愛するわけだわ……。

以下より考察?というか感情の吐き出し。
GotG3のみんながクィルの好きな曲を聴きながら、笑って歌って踊るシーンでワンピースフィルムレッドじゃん!!!!!!!!になっちゃった。
フィルムレッドではエンディングで、過去にルフィが救ってきた国、助けてきた人々が笑顔でウタの歌を聴いているシーンが流れる。
デイミアン・チャゼルのバビロンでは色んな見た目をした人たちが同じ映画館に集まって、同じ映画を楽しんでいる。
唐人街2では色んな見た目をした人たちが同じ花火を見て、笑顔を浮かべている。
クィルが成し遂げたこと。ガーディアンズが今まで描いてきたこと。
相手と自分の違う部分を認めて、受け入れて、同じものを見て、楽しむ。をエンディングで盛大にお出しされて涙腺崩壊した。マジ無理。
テイルズオブリバースのクレアの演説「ヒューマでもガジュマでもピーチパイを美味しいと思う気持ちは同じはず」がリフレインしました。
つまりGotG3はテイルズオブリバーズだったんだ……。
クィルが助けてきた人々がみんな笑顔で、クィルが好きな最高にイカした音楽を聴きながらノリノリでダンスしてるのも、麦わらの一味が助けてきた人々が争いのない平和な世界でウタの歌を聴いているのも、本当にすげえことなんだよ……!!!

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