見出し画像

父の名


( rewind... )

父の名という概念を持って生きている日本人は少ない。多分にキリスト教的な観念だし、名付けの法則にも関連しているように思う。Mc○○、○○son、jr、○○vicといった直接的な名前の相続は、日本の現代社会には見られない。2世や3世も存在せず、そもそも「家の名」に対する比重が軽くなってきている現在、父の名の持つ神聖さというのは失われつつある。
個人のパーソナリティを示すステイタスというのは、労働資本主義社会では職業や学位、そのほかのソーシャルな評価によって示されがちだが、広域にわたる共通価値観の形成以前は、自らの父が成し遂げたことやあるいは犯した罪、さらに祖父や祖先に遡る血筋こそが自己の形成基準であったし、「名乗り」は多くの場合父系の経歴の羅列とともに為された。
表札の掲示、喪主、夫婦同姓…… 父(夫)の名前こそが、連綿と社会を支配する家父長制を生み出した諸悪の根源であるかのように思える。父の名こそが男性性の増長、女性の主体の縮退、家庭関係の固定化を招いているのだという意見。しかし本来的には父親の名前というのは尊厳、敬意、承認を象徴するものであったに違いない。

父と子と聖霊の御名のもとに。

キリスト教的(かつ東方正教的)信仰において、ひとつにして絶対の神は、天上におわす「父」、地上に遣わされた「子」、そして広範に御技をなす「聖霊」の三位一体として認識される。ヤハウェの名を失った主神は、パリサイ派やローマ総督の暴虐を目の当たりにして、恋人を持つ純真な(おそらくティーンエイジャーの)マリアを妊娠させ、彼女の子宮に自らを授ける。恋人や家族、何より本人の持った疑問や失望、あるいは絶望には、聖霊の姿をとったり天使を遣わしたりして対処。そして二分の一の確率から偶然に男子が誕生し、すべて男子の十二人の使徒とともに、道すがら信者の女性(またもやマリア)に香油を注がれたりしつつ、ゴルゴダの丘へ1日ずつ近づいていくのだ。こうした観念が社会的男性優位性の構成に貢献していないとは言い切れないが、シニカルな半目で見つめていては見えてこないことがある。
(なぜ母の名ではいけないのかとか、そもそも性別があったらおかしいだろとか、話すべきだし話したいことはたくさんあるけど、とりあえず今存在する父のことについて考えたい。どんなにだらしのない父親でも、ミルクを買いに行ったきり二度と帰ってこなくっても。)
父というフィギュアは、伝統的に、厳しく、子供のことを認めず、人生哲学を教育して、そしてたまに見せた笑顔が記憶のなかで輝き続ける、そんなステレオタイプとともに人間社会に巨大な影を落としている。ガンビーノ
(同時に)、父は常に背後で自分を見守り、行動を規範する、超然とした道徳律でもある。歴史に醸成された父親像と結びつき、実際どのような人物であったかとはほとんど関係なく、父の虚像は生活を縛り、かつ照らす。日本的な語句で述べるなら「お天道さん」的観念なのである。自分のことを見つめる(T・J・エックルバーグ博士的)二つの眼は、生理学的父親のものであるとともに、天にまします我らの神のものなのである。
あらゆる情報が身の回りに溢れ、ホームスクーリングや個人指導など、基礎的教育は細分化し、人生の師を見つける場さえもSNSやオープンなスペースで見つけられる現在でさえ、母親の膣(あるいは切り開かれた下腹部)から現世に飛び出して向こう3年は親だけがメンターなのだ。

親殺しが人間を完成する。ガッツが怒りのままに鋼鉄を振るってガンビーノを真っ二つにした瞬間を親殺しと呼ぶのかもしれないが、真実に彼が親を乗り越えるのは、付きまとう養父の幻影を乗り越えてこそなのだ。親殺しという行為の意義は、親の庇護のもとから卒業し、親の価値観を外側から見れるようになること、親の世界の外側に出ることにある。こうした巣立ちは必ずしも世代交代的である必要はなく、親の殺害は必ずしも物理的手段によってなされる必要はない。与えられたエサのように親の絶対性や超越性を鵜呑みにすることをやめ、雛鳥であることを終えて、自分から冒険するエリアを拡張することが“現代的親殺し”として個人を完成するだろう。(さらに)親殺しは親に対して行われる必要はない。現在進行形で拡張する接触可能な世界に、“親子”は並行して多量に存在する。新たなジャンルに挑戦した際の講師や、引っ越した先の初めての友達、部活のヒーローやインターネット上のインフルエンサー。彼らに憧れ、尊敬し、絶対化して、神格を認め、子宮に潜り込んで、自ら子になってしまう人間の多さにあなたもきっと驚く。そうした行為自体は、本来の親子関係と同じく、未踏の世界における保護を約束するものであるし、完全な悪ではない。しかしいずれ親は殺されなければならない。価値観は脱皮して、流動していくしかない。それが成長ということで、進歩ということだからだ。

早い変化を続けていては芯がなさすぎる。
たとえどんなに遅い一歩だとしても、せっかく到達した美学がその場にとどまり続けることはない。

そこでタトゥーの出番なのだ。


「親は、刺青は痕に残るからダメだというけど、子供からしたら、親も離婚するし、友達もいなくなるし、刺青だけは残るからやるんだ」

村上龍or柄谷行人、もしくはある少女(出典不明?)

人びとが去り、モノが朽ちて、データが飛んでしまえば、僕たちには何が残る?
7日で全部入れ替わってしまう脳みそに、どれだけ偉大で超越的な行動規範がインストールされていたって、言葉やカタチになっていなければ頼ることはできない。父親を殺して得た自らの世界に、ふたたび形を与えて細胞に刻もう。
そしてインクの模様に父の名を見つけよう。
タトゥーは機械的に動く針にインクをつけて、真皮にまで浸透させることによって、永続的な存在を皮膚に残すことのできるという、プリミティブでありながらフューチャリスティックな行為だ。似たような行為は世界中で見られ、古くは紀元前数世紀のエジプトやメソポタミアで行われた。沖縄や台湾のハジチ、サモアの人々のmalu、アイヌのヌエなどはほとんど限定的に女性のみが持ち、受け継がれてきた部族的美学の象徴であったり、航海に役立つ星々の形象であったりした。及ぶ痛みも、かかる時間も、現代の清潔なタトゥースタジオにおけるそれとは比べものにならないにも関わらず、内部的な断絶が起こることはなかった。(明治政府の外部的な圧力により、列島の北と南において美しいレガシーが失われた。なんという喪失)
これらの刺青が彼女たちの身体に繋ぎ止めたのは個人的な信条や人生哲学というよりはムラ社会に既存していた習慣的美学や慣習にすぎないが、歴史や一体感を共有するための手段が圧倒的に不足していた過去において、人々を一つに繋ぎ止める役割を果たしていたのは確かである。成人の儀式としての割礼や抜歯と同じような側面もある。定量的な痛みを共有して経験し、容姿に変化をもたらす。かつ柄などにより意味を添加することができる。家系や信念を背負うことが可能になるのだ。セピック族。

*パプアニューギニアのセピック族は河畔に住む原住民族の一つであり、かつてはヘッドハンティングやカニバリズムで知られた。彼らは数千頭のワニが生息するセピック川に居を構え、(当然)ワニを狩る。だがそれだけではなく、彼らは肉と皮によって自らに命を与えるワニを崇拝し、神殿に祀り、そして彼らを背負う。
彼らの背にはワニを模したスカリフィケーションがある。背鰭やウロコをかたどり、皮膚に傷をつけて、治癒の過程によって傷を残す行為だ。これは“ワニの名”を残すことだと見ることもできる。背後から見守る心霊的ワニの存在を刻み込むということ。あるいはワニと同化することによって彼らの目を通して世界を見られるようになるのかもしれない。これらもまた、媒体の未発達な世界における、信仰や生活の反映の性格が強い。


日本における刺青のオリジンというのは、いわゆるドッグタグ的なモノであった。漁師や飛脚など、身元不明の死体になりやすい職業の人間が、パーソナリティを身体に刻むモノであったのだ。もともと多くの伝統的女性タトゥーと異なり、美意識に結びついたものというよりかは、職種に基づく伝統であった。だが、やはり明治政府の改革により、刺青は反社会的なものになり、人々のあいだに嫌刺青感情が蔓延していった。ロシアの皇帝による近代化で失われたのは貴族たちの豊かな髭だけだが、我々は信念のための一つの表現を失ってしまった。


だからこそ。
だからこそ今、このデジタルで流動的な社会に生きている僕たちが、経験や思索を通して、哲学を探していかねばならない。
価値観を、芯を樹立しなければならない。
絶対に後悔しないと言えるほどの突き詰めた観念を肉体に叩き込めば、やがて僕たちの美学を代弁してくれるだろう。たとえ他のすべてが冷たい死体のようでもタトゥーは雄弁にそこにいてくれる。
いろいろな障害があると思う。特に日本では、就活どころか生活だって、刺青ひとつで大きく変わってしまう。反対する人も多いだろう。それでも、と僕は思う。それでも、いつかは必ずタトゥーを入れなければいけない。
だって、かつての歓びは遠く、ふたりの間の愛は冷たくなって、銀行には2桁も入っていないって時、

俺たちには何が残る?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?