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『死の天使の光輪』序章

 草原を駆ける西風が草露を拭う。
 その青年は、草原に出来た小径を歩いていた。厚い雲が悠々と漂う晴れた昼間のこと。風に吹かれながら歩くその姿は、長い時間歩いていたにもかかわらず、風に足を掬われるかのような、疲れを知らない、軽い足取りをしていた。これから向かう場所へ、期待に胸を弾ませながら、青年はこれから起きる《出来事》に対する想像をたくましくしていた。
 青年はささやかな物書きであった。
 数々の廃墟へ行っては、その場所であった出来事に《想いを馳せて》、そうして汲み取ったものを物語として書き起こしては、売って、小さな稼ぎにしていた。そして今日も相変わらず、廃墟へと向かっていた。

 草原は日の陽気に当てられ、風に撫でられて、ふるふるとその身を震わす。ぐんぐんと伸びをする草を、羊たちが食む音が聴こえる。穏やかな風景の美しさを感じながらも、足を前へ、前へと進めていく。
 目的の廃墟が、遠目に見えてきた。
 敵の侵略を防ぐ役割を、果たしたかどうかは、その歴史を見れば怪しくはなるが、長い城壁が左右に伸びているのが分かる。その長い城壁の奥、丘の上に、黒々とした石の塊が、静謐と堂々たる風格とを有して黙座する。円柱型の塔が一棟そびえ立ち、その周りに石碑が三十近く築かれているのが小さく見える。烏が数羽、飛んでいる。その廃墟の中に帰る家があるのだろう。
 歩を進め、更に近付く。遠目から見て、長さを感じていた城壁はもう間近。その端を横目に、行き来し安いように整備された坂道を登っていく。
 やっと、来た。
 廃墟の入り口。ゆっくりと、その場の全てを味わい尽くすかの様に、深い呼吸を数回、肺と脳と全身とを、新しい空気で満たした。
 いよいよ、中へ入ると、天井は無く、見事な青空が広がっていた。壁にはところどころヘデラが伸び渡り、日に照らされ、青々と輝いている。床は、石で敷き詰められた場所と、草が生い茂る場所があり、しかし、どちらも足取りに困る程に荒れている様子はない。右側へ入っていくと、礼拝堂と思われる場所に当たった。この廃墟は神を讃える場所であった。ここまで来て、ある事に気付く。誰かしらの手が入っているのかが分かるぐらいに、中は思っていたより整えられており、完全な廃墟とは言いづらい。もしかすると、遠く町よりここへ来て、その神聖なる、歴史のある場所として、後世に残しておきたいと想う者が、施しを行っているのだろうか。それは非常にありがたい。
 内部見学を終わらせ、やっと《作業》に取り掛かる。礼拝堂の祭壇前に背をもたれかけ床に座る。楽しい気持ちを抱きつつ、深い呼吸を数回。すると、どうか。地面から、壁から、空から、粒子が輝きを放ちながら、空間に充満し、ゆっくりと漂う。粒子は次第に形を成していく。人が姿を現し、廃墟はたちまち、かつての現役の姿へと変わっていく。粒子が形作ったもの達は動き出す。

 東の窓から朝日が差し込み、礼拝堂を光で満たす。人々は歌っているようだった。人々は笑顔であった。祭壇の後ろのほうを見てみると、さまざまな楽器を持った人達が演奏をしていた。それから少し時間が経つと、人々はダンスを始めた。手を取り合い、軽やかなステップを踏んでいる。それは見るからに楽しい光景であった。また少し時間が経ち、ダンスをしていた人々は、静かになると、祈り始めた。これまでの楽しいひと時を、神への感謝と賛美の内に終わらせた。それは幸せ以外の何様なにようでもなかった。ここは宗教の自由を求めたが故に、このような神の讃え方が作られたのだろう。自由の内の、その一つの様式を垣間見た。礼拝堂らしからぬ光景に、しかし、人々が集まり楽しむ様子を見れば、神も我が子らの喜びを、惨たらしく取り除きはしないだろう。神を讃える者は、他者を害さない限りは、自由な表現を成すことが出来る。宗教に限らずとも、人々は自由な表現者であることが出来る。そうでありたいと願う。

 《作業》を終え、廃墟の裏側へと出た。そこには円塔があり、その周りに数え切れない程の墓石が何十と草原の上に佇んでいた。突如、黒く、動く影、一つ有り。数ある墓石の一つ、その前にいた。まさか野犬が入り込んだのだろうか?よく見てみると、全身黒色の服を着た人影であった。墓参りにでも来たのだろうか。もし、この廃墟に関心を寄せている人ならば、少しでも話をしてみたいと思い、声をかけることにした。
「こんにちは」
 人影はこちらを向く。少女・・はこう言った。
「ようやく来た」
 少女の手には小さな草刈鎌が握られていた。

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