燃ゆる螢
時は芒種。腐草為螢の侯の黄昏時。入梅を迎え、空気中に浮かんだ水分が肌をしっとりと潤す。水色の四葩は梅雨の青空となりえるか? と彼は自らに問いかけてみる。そうなりえたら嬉しいだろな、と心で思いながら、早苗田の畦道を行く。梅雨明りを待たずに進む曇天の道も悪くはない。要はどうやって楽しむかによるのだ。
大きくなった青梅は、誰にも採られることなく地に落ちて、黄色く熟して果てに腐れていく。いや、最近誰かが青梅を拾っていたような覚えがある。その青年の顔は曇り空、心の中は雨空と言わんばかりの暗い顔であったなと、ふと思い出す。折角近くに居たのだ、一声の挨拶をして笑顔を送れば良かったと今になって思う。彼は今どうしているだろうか。彼の幸せを願うと同時に、繁った故に刈られてしまった雑草の中に大きな拝み虫を見た。これは良い兆候かもしれない。彼に幸あれ!
田圃の畦道を抜け、山へと続く小径を行く。山へと入る前に御神酒を一杯、山の神に捧げる。山の神、どうか猪や蛇などに出会いませんようにお守りください、と願って入る。この儀式はこの地域では昔から行われているようだが、山への畏怖と感謝の念を忘れないという想いの表れであろう。こういった事を大切にしていきたいと思いつつ、酒の匂いに酔いしれる。あまり好きではない焼酎だが、御神酒となった酒は特別に感じるからか、良い香りがするような気がした。儀式を終えて山道を行くと、蚊喰鳥が木々の隙間をあちらへ、こちらへと飛んでいる。もうじき夜になる。
辺りは木陰もあってか一層暗く、持ってきた懐中電灯の灯りがより明るく光っているように感じる。灯りを頼りに少しずつ歩を進めて行くと、そこには川があった。山の中腹、水源より少し下がった場所に位置する。懐中電灯の灯りを消すと、そこには無数の蛍が飛び交っていた。蛍の光が、ぼうと燃えているように思えるのは、その光が求愛のためのものであると知っているからであろうか。燃えては消え、燃えては消えするその光は、その短い命を燃やしているようにも思う。
朽草よ 魂をも焦がす 恋となれ
朽草よ 短き命 遊べばと
その灯火を 我が道に置く
清流を 守りし蚊喰の 袂にて
命繋ぎし 蛍の光
幻想的な蛍たちの舞いを見終えた帰り道。闇と言えるほど暗い山道を、懐中電灯の灯りを頼りに歩を進めた。
さて、ここでは「夜の山道が暗くて怖い、さっさと帰りたい」と思うのか「さっきの蛍は綺麗だったなあ、また行きたいな」と思うのか、その両方か。読者のほとんどは暗い夜道を怖いと思いながら帰るであろう。夜の山道に一人、持ち物は懐中電灯と空になったカップ酒のみ。どんなに心細いことか。そして家に着いてから「綺麗だったなあ」と思うのだろう。しかし、彼はそれとは違った。
彼は蛍と同じ短い命を患っていた。短い命と知っているからか、怖いものは無くなった。否、怖いものを無くしたのだ。それ故に、彼は真っ暗な道の中でも「さっきの蛍は綺麗だったなあ、また行きたいな」と思うのだ。彼は今まで蛍を見たことが無かった。自分と同じ短い命である蛍を見に行きたかった。だから見に行ったのだ。そうして短い命である以上、時間を無駄には出来ない。楽しい思い出を作るのであれば「怖い」なんて考えを巡らす時間も惜しいのだ。彼は短い命を患ってから知った。隙間の時間、瞬間でさえも愛おしい。その時間を何に使うか、何を思うか、それが大切なのだと。
彼が「焦がれる恋、燃える命」と何度も呟き余韻に浸っている中、草葉の陰から獣が彼を覗いていた。それが何であったのか、今の彼に知る必要はない。
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