『時に佇つ』を読んで
『時に佇つ』(佐多稲子著)を読んだ。最後の一文を取り上げて本の紹介をするちょっと変わった書評本に載っていたのが興味を持ったきっかけ。名前は知っていたけれど、この人の本は今まで一度も読んだことがなかった。先入観や期待感が少なかったせいかすんなり読めた。
1970年代に書かれた本。国電が出てきたり携帯が存在しなかったりと舞台は昭和レトロだけれど、彼女の感性は全く古びていない。昔の本を読むと当時の風潮や嗜好が色濃く反映されていて、気持ちがついていけないことがあるがこの本にはそれがなかった。
人生の最晩年に差しかかり、心に残る12のエピソードを振り返るエッセイ。当事者だった時のギラギラが削ぎ落され、自己も他者もあくまでも客観的に描写されている。あの時一体何があったのか。ウソやすり替えをできるかぎり排除しようとする冷徹さ。けれど突き放すような冷たさはない。静かに過去を捉えなおそうとする澄みきった眼差しがすがすがしい。
素敵だなと思う文章を私はノートに書き留めるようにしているのだが、彼女の文章は書き抜けなかった。というのもどの文も平凡な言葉で構成され、個性や魅力に乏しい。どちらかというと簡素でパサパサ。それなのに一文の密度が濃い。読み進むうち文章の背後からぱあっと風景が広がっていく。この奥行きはなんだろう。平凡なさり気ない文章ばかりなのにどこにそんな力を秘めているのか。既成の表現で満足せず、自分の思いにより近い言葉を時間をかけ、選び抜いているからか。
彼女はみなまで言わないことも多い。暗に匂わせるだけで明言を避ける。はぐらかすのとももったいぶるのとも違う。彼女の美学が全てを赤裸々に語ることを良しとしないのだろう。それは当時の日本人が持っていた奥ゆかしさなのかもしれない。口下手で不器用な日本人が作品中、随所に登場し心を揺さぶる。戦争という時代背景も色濃く影を落として作品に重みを与えている。
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