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「中殺」が意味するもの

算命学では、
天中殺の時期は判断ミスを起こしやすいとか、
生月中殺や生年中殺を持つ人は生家生地を離れて人生が陽転するとか言われます。

では、この「中殺」とは何かと問われると、「枠がない状態」だと説明されるのが一般的です。

私たちはある一定の枠の中で守られて生きているので、
天中殺で枠がなくなると一定枠外の判断をしてしまって、それが枠内の世界ではミスと判断される、
生月中殺や生年中殺を持つ人はもともと生きる世界に枠がないので、生まれたときの枠の中にとどまっていると窮屈で苦しくなるので広い世界へ出ていきましょう、ということです。

この枠がない感覚というのは命式に中殺がある人でかつある程度人生経験を積んでいる人なら分かる感覚かと思いますが、
命式に中殺がない人には分かりにくい感覚なのではないかと思います。

「枠」とは何かということですが、
常識、普通、当たり前、世間で通用するもの、一般的に受け入れられているもの…などを指しますが、
これはつまり、皆に分かりやすく一定のカタチや型のあるもののこと。
長く引き継がれてきたことの結果、ある一定のカタチや型になったもの、という言い方もできます。
(カタチや型になっていれば、皆に分かりやすく長く引き継がれていくこともたやすくなるという事でもあります。)

しかし、実はカタチや型というものは、一部分のみ、皆に分かりやすい部分のみを切り取っていることになっているのがわかるでしょうか?

ちょうどクッキーの型抜きのようなもので、
クッキー型で生地をくり抜けば、そこには型抜きされた部分とその他の穴ぼこだらけの部分ができます。
実際にクッキーとして次の工程に進めるのは型抜きされた部分だけですが、
それ以外の部分も確かに存在していて、
世の中はクッキーのカタチをしているものばかりで埋め尽くされているわけではありません。

中殺のない人は焼きあがったクッキーを食べて満足するわけですが、
中殺のある人は焼きあがったクッキーを食べつつ、そのカタチにならず焼いてもらえなかった残りのクッキー生地が気になる、

目の前のクッキーに焦点をあてる中殺のない人、
もともとのクッキー生地の総量に焦点をあてる中殺のある人、
…みたいな違いがあるという感じでしょうか。

つまり、中殺がある人の世界観はカタチになっているもの、目の前にあるものだけで成り立っているのではなく、
カタチになっていないもの、目に入らないものもひっくるめたより広い世界観、より広い視野を持っていると言えます。

中殺を持つ人の行動は極端とも言われます。
一旦掃除に取り掛かると隅々までピカピカにしないと気が済まないとか、
こども干が中殺されたりしていると、異常なほどに子どもに執着するとか。

これらの極端さも、その広い視野、世界観で生きているからこそのもので、
中殺のない人から見れば、見えないものにまでこだわる行為が極端に見えるのだと思いますが、
本人たちにしたらごく自然な行動で、誰かに指摘されて初めて他の人との違いに気づきます。

その極端さがいいようにでるか悪いように出るかはさておき、
それは中殺を持つ人の世界観からくるものだということです。

「中殺」とは目に見えるカタチのあるものだけではなく、カタチのないもの、目に見えないものをも含めた世界を指すのだと言えます。



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