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1.5℃の約束「気候危機を止めるために個人でできる10の行動」キャンペーンにめっちゃ違和感

国連とメディア有志(コンセプトは理解していてもすべての過程に参加したわけじゃないと思います)、広告代理店による「気候危機を止めるために個人でできる10の行動」は、UNEP(国連環境計画)の「気候危機と戦う10の方法」と、UNDP(国連開発計画)の「地球の健康のための行動」を混ぜ合わせて、日本固有の「個人の行動を変えて気候変動を止める」キャンペーンにすり替えられています。

まず、2つのキャンペーンを比較してみましょう。

日本固有のキャンペーンにすり替え

UNEP:「気候危機と戦う10の方法

  1. 声を上げる

  2. 政治圧力を強める

  3. 交通手段を変える

  4. 節電する(排出量が少ない電力を選ぶ。省エネ家電を選ぶ)

  5. 食生活を見直す

  6. 地元のもの、持続可能なものを買う

  7. 廃棄食品を減らす

  8. 服をどうしても買う場合は、排出量が少ない商品を選ぶ

  9. 木を植える

  10. お金の使い先を変える

UNDP:「地球の健康のための1012の行動」 ← 1.5℃の約束はなぜかこっちを使用

  1. 家庭で節電する

  2. 家庭のエネルギー源を替える

  3. 徒歩や自転車で移動する、または公共交通機関を利用する

  4. 電気自動車に乗り替える

  5. 長距離の移動手段を考える

  6. リデュース、リユース、リペア、リサイクル

  7. 野菜をもっと多く食べる

  8. 廃棄食品を減らす

  9. 在来植物を植える(削除)

  10. ごみを減らす(削除)

  11. お金の使い方を考える(なぜか「環境に配慮した製品を選ぶ」に変更)

  12. 声を上げる

2つを比較すると、
・ 声を上げる
・ 交通手段を変える(徒歩や自転車で移動する、または公共交通機関を利用する)
・ 節電する
・ 食生活を見直す(野菜をもっと多く食べる)
・ 廃棄食品を減らす(廃棄食品を減らす)
・ お金の使い先を変える(「環境に配慮した製品を選ぶ」に変えられた「お金の使い方を考える」)

の6つの行動はかぶっています。そして、両方にあった「木を植える(在来植物を植える)」は亡き者にされました。

そもそも、国連開発計画の方は、地球を健康に保つための行動なので、「個人が庭などに在来種の植物を植える」を「個人が気候変動を止めるための行動」に含めるのは無理があります。

一方で、国連環境計画の方は「社会全体で気候変動を止めるために木を植える」となっています。1.5℃の約束は「個人でできる行動」を掲げているので、ここにシステムを持ち込むわけにいかず、とても大事な行動であるにもかかわらず、木は植えないことになりました。

うがった見方をすると、東京都知事選でも指摘された神宮外苑の木の伐採が取りあげられている中で、ここで「木を植える」を持ってきたら、批判の対象になりかねないという判断だったのかもしれません。

国連環境計画の「声を上げる」「政治圧力を強める」「お金の使い先を変える」は、社会システムを変えるための行動にあたります。

国連開発計画にも「声を上げる」と「お金の使い方を考える」がありますが、「お金の使い方を考える」は、化石燃料に投資している金融機関への配慮からか、「環境に配慮した製品を選ぶ」に変えられています。

国連開発計画の方、1.5℃の約束が引用しているオリジナルの「お金の使い方を考える」を詳しく見てみましょう。

私たちのお金の使い方のすべてが地球に影響を与えます。あなたには、どんな商品やサービスを支持するかを選択する力があります。環境への影響を減らすために、責任を持って資源を使用し、温室効果ガス排出や廃棄物の削減に取り組んでいる企業の製品を選びましょう。例えば、年金基金などを通じて、あなたの資金が化石燃料事業や森林伐採に投資されている可能性があります。年金や貯蓄を持続可能な事業を行っている企業に投資することで、カーボンフットプリントを大幅に削減できます。

一方、1.5℃の約束の「個人でできる10の行動」はというと…

あなたには、どんな商品やサービスを支持するかを選択する力があります。環境に及ぼす影響を軽減するために、地元の食品や旬の食材を購入し、責任を持って資源を使ったり、温室効果ガス排出や廃棄物の削減に力を入れたりしている企業の製品を選びましょう。

冒頭の文と、後半の2文がまるっと削除されています。長さの都合で削除するにしても、意味合いまで変わってしまって、オリジナルが伝えていることからかけ離れたメッセージになっています。年金基金や貯蓄の使われ方の話になると、金融機関や政府機関が対象になるため、意識的に削除したと考える方が自然でしょう。

出発地点で、「地球の健康のための1012の行動(Actions for a healthy planet)」を「気候危機を止める10の行動」にそっくりそのまま持ってくるのは、あまりにも強引です。「健康な地球環境」と「気候変動」は似て非なるものです。

気候変動を止めるための行動は、排出量削減です。
地球の健康のために必要な行動は、環境汚染をなくす、環境負荷を減らす、です。

環境正義的な見方をすると、これが偶然とは考えられません。意識的に2つのキャンペーンをミックスさせたという見方ができます。

キャンペーンをサポートしている大手広告代理店が、官民の取引先(化石燃料産業、金融機関、政府や政府機関など)に配慮した結果、個人に責任を押し付ける項目ばかりが残ったと推測できます。

「個人の行動の変化」は大衆のアヘン

別にね、個人の行動を変えることにまったく意味がないと言っているわけじゃありません。気候変動を止めるために自分もなにかしたいと真剣に考えている人はたくさんいると思います。私も質問されます。

個人の行動は、生活に無理のない範囲で、自分の生活に関係があって、我慢や無理をしなくてもできることを選んでやっていけばいいんです。

でも、「気候変動を止めるために私たちひとりひとりにできること」もまた「大衆のアヘン」なので、そこで「やることやった」と行動を止めてしまったら、それこそまったく意味がなくなるどころか、マイナスになってしまいます。

「私たちひとりひとりにできること」がもたらすものについて書いた記事があるのでチェックしてみてください。 ⇒ 「私たちひとりひとりにできることがあります」「個人のカーボンフットプリント」は化石燃料産業の思うツボ

個人の行動を入り口にして、個人の行動よりも何百倍、何千倍、何万倍の影響力を発揮する可能性がある、システムを変えるための行動につなげられれば、最初の一歩にした個人の行動の変化は、とてつもなく大きな意味を持ちます。

「個人の行動の変化」を呼びかける負の影響

このキャンペーンや化石燃料産業の「個人のカーボンフットプリント」のようなメッセージによる負の影響は3つあります。

まず、先述した「自分はできることをやった、やっている」と、個人レベルの行動で満足して、システムを変えるための行動につながらないおそれがあります。そして、中には、周囲に個人の行動の変化を求めて、自分と同じ行動をとらないと責める人がいます。そういう人を少なからず見てきました。責められた人は、耳をふさいで何もしなくなる可能性があります。

2点目は、10の行動を順番に見ていって、自分にできることは何もないと絶望する人がいると思います。キャンペーンを企画する側にとっては、「こういうことができるよー」と選択肢を提供しているだけかもしれませんが、社会経済的に苦しい立場にいるけど、自分も何かしたいと考えている人が、お金がかかるから無理と感じたり、そんなことを言われても自分の地域ではできない、と感じたら、もしかすると気候変動の情報を拒絶するかもしれません。心が傷ついたら、頭も体も動きません。

3つめは、気候変動の原因を作っている化石燃料産業や政府、化石燃料を使用して利益を得ている企業や一部の富裕層、そしてこれらの勢力の責任を問わない既存メディアの責任をゼロにしてしまうこと。これが一番の悪影響です。個人に責任を押し付けようとしている者たちに、のしをつけて責任を返さなければいけません。

個人に行動を呼びかける際は、そこに「(経済的に、地域的に、精神的に)もしも可能なら」と注釈を付ければ、メッセージを受け取る人の印象は大きく変わります。「今は無理だけど、できるようになったらやろう」と思うか、「無理。自分にできることは何もない」と思うか。その積み重ねによって、気候変動を止めるムーブメントの成長速度が違ってきます。

何もしていないのは誰なのか

あと、「何もしないともっと暑くなる」というメッセージについては、ふざけるのもいい加減にしろという感想しかありません。今まで何十年間も、こうなるとわかっていながら何もしてこなかったのは、政府や化石燃料産業、化石燃料を利用して利益を得てきた金融機関や企業、無批判のメディア、一部の富裕層です。

システムに与えられた選択肢しか持てなかった&持てない個人が責任を感じる必要は、これっぽっちもありません。

「政府が何もしないともっと暑くなる」「企業が何もしないともっと暑くなる」「金融機関が何もしないともっと暑くなる」「メディアが何もしないともっと暑くなる」が正しいメッセージです。大手広告代理店がこんな主語を使えるわけがないので、主語のないメッセージに個人の行動の変化を添えました、みたいな感じですかね。

システムを動かしている政府や企業、金融機関、大富豪には、変化する理由がありません。今の生活でハッピーなのに、変えなきゃ、変わらなきゃ、と思うはずがないんです。そこで、変わりたくない人たちが、庶民に向かって変われ、みんなが変わったら世界が変わる、というキラキラふわふわしたメッセージで、「いいことやった」と気持ちよくさせたら、自分たちのポジションは安泰ってなるんです。これが大衆のアヘンです。

というか、昨年から続く12万年以上で最も暑い13カ月間や、熱中症で奪われる命、搬送される人々が増えていることを深刻に捉えたうえで、気候危機を止めるための10の行動を提唱しているのだとしたら、無知にも程があるうえに、そこに個人に対して「何もしないともっと暑くなる」というメッセージを投げかけていることには、もはや悪意しか感じません。

個人の行動の変化で気候変動は止められない

システムを変えない限り、個人が何をやったところで、もっと暑くなります。個人の行動を変えても、削減できる排出量は、たったの4%です。個人の行動を変えるには、個人の選択肢を増やすしかありません。個人の選択肢を増やすのは、システム側の、政治の仕事です。

2021年に公開された、気候変動を地球に衝突する彗星(すいせい)に置き換えた風刺映画『ドント・ルック・アップ』は、公開後に気候変動を止めるためのアクションサイトを立ち上げて、システムを変えるための行動と、個人のカーボンフットプリントを減らすための行動に分けて啓発活動をしていました。今はもうアクションサイトがなくなってしまいましたが、気候変動の専門家のアドバイスを受けて掲げた「システムを変えるために個人ができる行動」は、以下の6つ。

・気候変動の話をしよう
チームに参加しよう
預金先を考えよう
政治家の責任を追及しよう
職場に変化を働きかけよう
メディアに気候変動をトップで扱うよう迫ろう

ここにあって、『1.5℃の約束』の10の行動にないもの(太文字の項目)が、このキャンペーンを語っています。つまり、「声を上げよう」以外はお話にならないと。

今回の「気候危機を止めるために個人でできる10の行動」のうち、1から9までを「すべての個人が無理なくできるよう、政府に行動させる行動のリスト」と考えて、そのために「声を上げる」という行動を起こせばいいかな、と思います。

個人の行動の選択肢が増えて行く過程で、格差や貧困はなくなっていきます。そうすれば、少しずつ生きづらい社会から生きやすい社会に変わっていきます。それを続けていけば、気候変動はスローダウンしていきます。

気候変動は、社会構造的に疎外された弱い立場の人たちを傷つけ搾取することで深刻化してきました。気候変動を止めるために、またその弱い立場の人たちに負担を求め、弱い人たちを失望させるような行動の変化を求めるのは、倫理的、環境正義的に間違っています。

今のシステムの中でできる個人の行動の変化は、できる人が無理なくできる範囲で。そして、弱い立場に追いやられている個人が負担なくできることを少しずつ増やすために、恵まれている立場の人たちがその影響力を使ってシステムを変えていけばいいと思います。

そして、まずは弱い人たちも恵まれている人たちも、気候変動を止めるための第一歩として、それぞれの立場から、交差性と包摂性を持って、連帯して声を上げていきましょう。

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