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カスタムバイクショップ編1

人生記録簿(5回目)1992~2014

大学時代にバイクを購入し、都市計画事務所勤務中まで個人で整備や部品交換を行っていました。当時はインターネット環境が無く、情報を得るのは雑誌や技術系の単行本しかありませんでした。写真と文章しか情報が無いので、プライベートで試行錯誤しながら実践です。やはりある程度経験を積んでくると個人作業のみだと限界が見えてきたこともあり、バイク業界に入ることにしました。勝手な思い込みで、限定解除が必須だと勘違いしていたので、試験に受かってから転職先を探しました。当時は、メーカーディーラー、レース関係、一般バイク屋がほとんどで、カスタムショップは少なく改造はイメージが悪い時代でした。その中で気になったのは、SR専門店でヤマハ車が多く2ストもやっていたショップでした。雑誌広告に社員募集が出たので、面接に行きました。何しろ畑違いの仕事で、まったく未経験で無資格(整備士)だったので、当時系列店の車とバイクの専門書店を進められましたが、バイクショップ勤務を希望しておきました。面接後返事が来ないので、こちらから連絡してみると、とりあえず働いてみますかという適当な返事から始まりました。

出典:ライダースクラブ1996.2月号

バイク業界に入ってみると、いまほど情報を共有している状態ではなくて、メーカーを除き、各ショップで試行錯誤が多かった時代です。最初に勤務したのは、世田谷区用賀(環8沿)にショップがあった時代で、色々あってなかなか大変でした。しばらくして引っ越すことになり、同じ世田谷区で環8沿いの尾山台に移動しました。ショップ移転もなかなか大変で、移転後は、バイクショップと車とバイクの専門書店が隣に並ぶことになりました。

自分のバイクについては、書店の店員さんがSRX600を乗っていたので譲ってもらい、自分の400の部品を移植し、400はノーマルに戻して知り合いに売却しました。Vmax1200に最初に触ったのは、用賀時代で、当時は、木枠に入っており、組み立てて八王子の陸事に持込登録しました。逆車の黄色の車体でした。

車については、ミニクーパーを乗っていましたが、バイク業界に入ったこともあり、しかも専門書店で洋書も見れたので、徐々に弄ってしまいました。当時の写真は無く、下記の写真は、かなり後期です。買った当時は、WRC(ラリー選手権)が流行っており、日本車も強かった時代です。なぜかミニもエントリーしていたので、参考にしていました。時代が前後しますが、ヤマハショップに転職した時代に、メーター裏の配線から出火し、一度車が燃えています。廃車にはせず、自宅車庫に運んでもらい、自分で修理することにしました。以下の写真は修理後のもので、燃えてから車検を通すまで2年ぐらいかかっています。部品については、ヤフオクで中古品を結構買いました。燃える前から結構部品交換していたので、エンジンとホイールは純正でしたが、ウェーバーキャブレター(純正はSUキャブ1個)、点火系、オルタネーター、メーター廻り、センターマフラー、車高調、オーリンズダンパー、バケットシート、4点式シートベルト、クイックシフト、ラジエター用ウォーターインジェクター等の中身を弄っていました。

結局エアコンは付けず屋根に穴を開けエアダクト付きでした。
当時のラリー車風にステッカーを貼っています。
ボンネットはピンで脱着式にしました。穴を開けてダクト付きです。
外観は、純正風です。
内装は燃えたので、適当に作っています。レース用のロールバーも入れました。
当時の名刺(一部画像加工)

ヤマハSR専門店でしたが、SR以外も結構作業しました。入店当時は、電話番&部品担当で通販も結構あり、毎日梱包発送していました。いろいろあって整備をするようになり、さらに尾山台時代は、店長になりました。いろいろあって、また、転職(違うバイクショップへ)し、カワサキエリミネーター専門店に行くことになり、SR専門店は4年間で終了。次のショップでバイクオークション(業者向)に出入りするようになり、4メーカー&BMWも整備作業していました。ただ、カワサキが多く、GPZ900R、1000RX、ZX-10、ZZR1100等も作業しました。1年ほどで終了し、転職(ヤマハ系バイクショップ)、そこで3級整備士取得後、YSPへ転職です。

いまでもリム組できます。

バイクショップに勤務してから転職(転店?)が多いですが、色々吸収というか学びの時代でしたので、吸収できることが無くなると違う店に移っていました。次は、YSPに移るカスタムバイクショップ編2に続きます。

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