体験格差問題に思う宗教法人の可能性

 夏になり子供の体験格差の話が出ると思うことがあります。

 「体験格差」は香港で目の当たりにしていました。小学校入学の時点で音楽系のクラブ活動は「楽器は自前、経験者のみ募集」だったりしまして、スポーツ系もやりたい子供は全員入れるとかではなくオーディションで選抜して入部させたりする感じでした。みんな平等という意識が香港には全くないので、先着順とかではなく「実力を評価する」オーディション式なのがとても香港らしい話です。

(学生の経験のためというのは第二義で、学校側は第一義として学校を代表してコンテストに出てトロフィーを獲って学校の名を上げてくれる子たちが欲しいから、「養成」視点ではなく「即戦力募集」になるのです。子供達も娯楽や趣味でクラブ活動するのではなく、キャリア戦略として活動を選び、そういったコンテストの受賞歴を手土産に今度は中学受験戦争に参戦する。習いたいことを習うのではなくて、バイオリンなどはやっている母数が多くてレッドオーシャンなので、あえてそれを避けて人数が少なくて賞が獲りやすいビオラにします、みたいなこともよくある)

 小学校受験の時にすでに「広東語と英語と北京語が話せてスピーチコンテストで賞も獲っててバイオリンも弾けます」みたいな子供像に向かって香港ではみんなが努力していたので。

(なんの楽器もできないうちの子はコーラス部)

 ただ、体験格差を埋め合わせる方法は香港社会に用意されていて、キリスト教系や道教?の慈善団体が運営する公民館が数多くあり、そういうところでは(質はともかく)10回5000円みたいな格安で楽器や語学、スポーツを子供が安く習えるようになっていました。うちも大変お世話になったものです。

 そういうところがもうあるかもしれませんが、日本で、神道や仏教の団体が地域貢献として格安で子供の習い事を運営するっていうのはナシでしょうかね。将来の氏子/檀家を育てる意味でもお互い利があると思うんですけども

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